二度目の鑑賞。
最初に観た時は、なんだか"エモくてオシャレな映画"くらいにしか思えなかった。
確かに物語が面白いわけではなく、
アダムドライバー演じるパターソンの日常(7日間という時間の1週間)を淡々と描いている。
このパターソンという街はパターソンに実際に住んだ日本人から見ても"極平凡な街だしこの映画を観ても平凡を感じた"という。(あくまで個人による感想だが)確かに平凡な街で毎日同じルーティーンの日常、パターソンが微々たる違和感や葛藤を常に抱えながら生きているのも分かる。
それが途中までは自由奔放に生きる妻(一見わたしは自由すぎてあまり好きではないなぁと思っていたが彼女自身パターソンのことをただただ愛しているし嫌いにはなれない)との生活、いや妻と結婚したことすらも思い悩んでいるのかと思ったが。。。きっとそうではないとも思った。
日々の少しの心の変化は、人に話すのではなく詩に書き留める。
飾らずに、嬉しい時にはこちらまで嬉しくなってしまうような可愛らしいほっこりする笑顔を見せるパターソン。アダムドライバーが生み出した可愛さだ。
1日1日が同じであることはなく、バスに乗る人も違えば話す話題も妻の寝相さえも日によって違う。そういう変化も楽しめるようになったら、もう少し日常やわたしが見る世界も明るくなるような気がしたそんな映画。
でも、最後に日本人男性の長瀬正敏さんが出てきたシーンだけは何か意味が押し付けがましくて違和感を感じてしまった。
日本人の仏教思想と深く関係があるらしい。
"君は魚になりたいかい?"
魚は毎日水槽の中で泳ぎ餌を与えられたら餌を食べまた泳ぐ。同じところを。そんな魚が窮屈だとかつまらなそうだとか思っていた。その精神のは自由さに、パターソンは夢見ていたのかもしれない。精神の解放。