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ゴールデン・ハンターのSNのレビュー・感想・評価

ゴールデン・ハンター(1965年製作の映画)
3.5
食指が動いたというよりも、たまには分かりやすい駄作でもと思いたち、手に取ってみたものの、その期待は裏切られることはなかった。マストロヤンニの無駄遣いでありながら、そんな彼の三枚目的な素養の全てが詰まった幸福な作品でもある。

タイトルの『カザノヴァ70』は実在のカザノヴァを指すのではなく、総称としてのカザノヴァ(形容詞的な意味である)であって、この作品の3年前にとられたアンソロジー『ボッカチオ'70』のパロディ(あるいは踏襲)でもある。そして、この作品の12年後に記念すべき怪作『フェリーニのカサノヴァ』が撮られることになると考えると、なんだか重要な作品に思えてくるから不思議だ。

カリグラム(アポリネールの詩法)によって彩られた何とも不思議なクレジットに始まる本作品は、カザノヴァの『回想録』のように、脈絡のない複数の挿話によって構成されている。フェリーニでいうところの馬車のように、プロットの断裂を埋めるのが、飛行機であり車であり、そして船である。マストロヤンニ自身がそうであったように、この作品の主人公アンドレアは、軍人であり、かつ色事師でもある。ヨーロッパを経巡りながら、身体的にも精神的にも十全に満たされることないままに、乗り物に流されてさまざまな女性と浮世を流して行く。そんな各挿話で語られるエピソードは、どれも安っぽく(実際に撮りかたがチープ)、使い古されたギャグや展開で満ちている。不完全で軽薄なモチーフを売りとする60年代的なイタリアコメディのこの倫理は、現代の観客からすると退屈で眠気をもよおすものでしかないだろう。

とまあ批判されるのもごもっともな作品であるが、アンドレアが心身ともにまいって、アジア狂い精神科医の元に駆け込むシークエンスは中々強烈。日本庭園をのぞむ見るからに怪しい病室(某宗教の旗が掲げられている)で繰り広げられる怪しげな診断。なかなか皮肉に満ちたこの挿話は、その後のアンドレアの更なる荒廃っぷりを準備するものであるだけではなく、この作品の唯一のオリジナリティ溢れるシーンかもしれない。ただ『女たちのテーブル』のベルナール・ブリエが刑事役で出ていたり、『最後の晩餐』で再びマストロヤンニと組むマルコ・フェレーリが聾の大富豪役で出ていたりとなかなか豪華な配役でもある。
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