ノマドランドを直前に見たからか、ほぼスクエアのアスペクト比の圧迫感に息が詰まりそうだったが、この画角の力は非常に効果的に見えた。辺境の地の閉鎖性、四方をジャングルに囲まれた空間、物語の多くを占める漆黒>>続きを読む
シネマスコープの幅を活かしたどこまでも続く水平線と荒涼とした大地、そして先の見えない一直線の道路。映像美から映画館での鑑賞を勧める声が多かったが、自宅の42インチでも十分に楽しめたのは、それらはすべて>>続きを読む
人の心の移ろいやすさ、打算的な恋愛の虚しさ、刹那的な快楽の応酬を15歳の純な瞳に語らせるロメールの技量たるや。
恋人と祖国への愛、二重の思いを音楽(歌)によって雄弁に歌い上げていく至極のメロドラマ。ベタっとした人物描写はなく時間省略も的確なので、中弛みすることは一切ない。(前作でも驚かされたが)静謐で抑制の効い>>続きを読む
遊郭を忠実に再現した舞台装置は見事だが、やはり(売りなんだろうが)色彩の艶やさが単調なライティングによって台無しになっている。
その時々の心情や思いを、他人に語らせるのがつくづく上手い監督だと感じた。
負け組たちの不器用さにムッとすることが多いが、(長続きはしないが)物事が好転する時のあの浮き立つ喜びは筆舌に尽くし難い。>>続きを読む
何と儚くも美しい映画だろうか。見る者見られる者、過去を振り返る視線、別れを告げる視線、未来に希望を求める視線、、交差する様々な視線を通して語られる、とある俳優の失踪事件。エリセ版の『失われた時を求めて>>続きを読む
(いつもの)JLG作品の難解さよりも、生気を感じられない肉声の辿々しさに耳を塞ぎたくなる。
溝口的リアリズムの極北とも言える作品。山田五十鈴が鬘を被り、芸妓になる瞬間のクローズアップの凄味。祇園の路地裏や長屋の効果的な撮り方。簡にして要を得た名作。
淡々と繰返される日常に差し込まれる不意の出来事の数々。物語として引き伸ばされることもなく、日々の生活に儚く消えていく。豊かに生きるには、シナリオ仕立てのドラマは必要ない。木漏れ日のように、ほんの少し口>>続きを読む
実の母娘でありながら互いに距離があったことを確か合うシーンから映画は始まる。写真、映像、言葉、、様々な角度から母を理解しよう(捉えよう)とする娘は、ついには、最も残酷な形で、母が遠ざけてきた忘れがたき>>続きを読む
故ミシェル・ルグランの姉クリスチアーヌの哀愁漂う歌にのせて、「大人は判ってくれない」のアントワーヌへのオマージュからこの作品は始まる。主人公のマルクは、美容師見習いをしながら、レーサーになることを夢見>>続きを読む
体感した人には嬉しい、知らない人には新しい。そんな喜びを与えてくれる作品。ただ、モノマネ路線で行くならばとことん突き詰めてほしかった。あらゆる方面に媚び売ってしまって、芯を失ってしまったような気がする>>続きを読む
昨今の映画的潮流とは全く逆向きの作品というべきであろうか。アンチ・スピードな映画である。それもそのはず、急加速急停止はイコール、即座に死をもたらすから。
南米の強い太陽に照らされた小さな町(おそらくペ>>続きを読む
名作と呼ばれるに値するだけの雰囲気を纏っているのに、かなり乱暴なプロットの断裂が目につく。
「エロチシズムとは、死に至るまでの生の称賛であるということもできる」とのバタイユの箴言は、そのまま大島渚の最も有名な作品の要約となる。
澁澤龍彦が広く知れ渡ることになった「悪徳の栄え事件」のように、>>続きを読む
食指が動いたというよりも、たまには分かりやすい駄作でもと思いたち、手に取ってみたものの、その期待は裏切られることはなかった。マストロヤンニの無駄遣いでありながら、そんな彼の三枚目的な素養の全てが詰まっ>>続きを読む
偉大なるコメディアン、ジャン・ロシュフォールの死に埋もれる形とはなったが、昨年、ダニエル・ダリューが静かに息を引き取った。享年100歳(あのケネディ大統領と同い年!)。トーキーの出現とともに銀幕デビュ>>続きを読む