原田和樹

オールド・ジョイの原田和樹のレビュー・感想・評価

オールド・ジョイ(2006年製作の映画)
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怒りや言葉は奪えない。しかし、ありふれたものは簡単になくなってしまう。奪われたことにすら、気づかないほど。


まず、台詞や劇伴が少ない分、ショットの視覚的な印象に集中できて、このバランス感が久しぶりで気持ちよかった。(インディー映画的な、お金や制約によるマジックでもあるのかも)

2006年公開時の世相が、主人公のラジオや電話時のやり取り、更にはずっと付き合いのある友人とのどことなくギクシャクした関係性にまでジワジワと描かれているが、映している画面自体は徹底的に止まっている主体が見ているであろう風景なのが印象的。

確かにこの映画の中ではブッシュ政権時の苛立ちや倦怠感などが描かれていると思うが、フォーカスしているのはデモや怒りのような実在の重みを感じるものでなく、それによって奪われるものであるのかなと感じる。普段、存在を忘れている、まるで風に飛んでいってしまう軽い埃のようなもの。そう感じさせるショットが美しかった。

冒頭、主人公が電話で政治の話をするシーンで、存在の重みを感じるような表情のショットではなく徹底的に車から見える景色の映像であった時。また旅行に行ってから主人公が妻からの電話を取るシーン。主人公にスポットがあたるのではなく、その間何の感情も見せず待っている友人を映している時など。。

友人として描かれるキャラクターも魅力的。明らかに収入が主人公よりも低く、趣味や趣向もオールドな雰囲気を漂わせているが、古き良きアメリカが持っている大地との結びつきのエネルギーを感じるような名演技が光る。

誰もが平等に暮らせる世界、それには全員が助け合うことだというのはもう、オールドジョイ=使い古された喜びなのだろうか。グローバル化が急激に歪みを見せ始めたテン年代の切迫感。そして現在。大麻でハイになった時に、彼が語ったティアドロップ型の宇宙の如く、多様性というある種、植民地支配や西部開拓に由来を持つ一元論は、今、猛烈なスピードでこぼれ落ちているように感じる。。

ラストで、彼はそんな宇宙からこぼれ落ちた人にお金を渡しているのかもしれない。そして同時に何か引っかかりながら暮らす「持っている人」である主人公の肩をも温泉で優しく揉んでくれるのだった。しかし勿論、それは「持たざる人」である彼の善の揺らぎも描かれているのであるが。。

もっかい観に行きたいな。超名作でした。
原田和樹

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