あずき最中

彼らが本気で編むときは、のあずき最中のレビュー・感想・評価

彼らが本気で編むときは、(2017年製作の映画)
4.1
LGBTというワードは一般に浸透してきているが、それでも実際にその人々に会うことも、本当の意味で理解する機会も実際にはまだまだ少ない。 これを観ればLGBTについて理解できる!とは言わないが、おおいに参考になる、考えるきっかけにはなると思われる。

まず、初めてリンコがトモに向かって話したときのあの空気感、トモの反応は、多くの人々がLGBTの人々に接したときの感覚を見事に表していると思う。
トモの同級生・カイもまた、同性である先輩に想いを寄せており、そのことで「ホモ」といじめられているが、ある程度の歳になると、マイノリティはいじめるな、そもそも触れてはならないのだ、という風潮が出来上がる。その腫れ物を扱うような態度が、あのトモの姿に表れているように思い、ドキリとしたのだ。

トモ同様に、観客も、繊細さと大胆さを持つリンコに惹かれ、彼女を腫れ物扱い、あるいは異質の物として排除しようとする人々に対して、憤り、哀しさをこらえられなくなるだろう。しかし、観客自身も排除する側に立ってしまったことがない、これからもないとは言えないとは言い切れない(オカマキャラをテレビ越しに笑うことだって、差別に成りうるのだから)。
※とくに男子学生時代のリンコが体育(柔道)で辛い目に遭う場面は、生々しい
この映画を見ながら、自分の他人に対する態度は本当に正しいものなのか、終始考えさせられた。

「彼らが本気で編むときは、」のタイトルについては映画を観てもらえれば納得できると思う。
「怒りが通りすぎるのを待つ」、それは傷つけられ続け、自分の言動がどれほどの暴力になるのかを理解した人間だからこその態度だ。

また、母や家族とは何なのか?ということも常々考えさせられた。

「何でお母さんはお母さんらしいことをしてくれないのか」と泣き叫ぶ我が子に対して、「私だって母である前に女なのよ」と叫ぶ女性を、端から見ている分には、母として認めることはできないが、子供は簡単には母を嫌うことはできない。その姿を見ているといたたまれない気持ちになる。

愛とは何か。それは、耐えることなのではないか。自分が多少辛い目にあっても、守るべきものを守ろうとするのが愛なのだと思う。
もちろん、出産は大きな試練だが、生まれ持った特性(女であること、娘をうめること)を武器に、心身ともに激痛を伴いながら女性、母になりたいと思う人を叩きのめそうとするのはあまりにも許しがたい。
※リンコの母は、少々物騒な発言は多いが、母であること、女性であることを両立していて、その点では尊敬できる人物だった。
性別や血や書面での繋がり(家庭、婚姻関係)など関係なく、家族にはなれる、ということを感じつつも、それを「関係のないこととは見なさない」制度、現実もたしかにある(DV疑惑をかけられたり、映画では禁止されていなかったが、病院での面会もただの恋人では会えないことがある)と思って苦しい気持ちになることも多かった。

全体的には終始、穏やかで、キレイで、ユーモアもあって飽きずに見ることができるし、流れも性急なところはほぼない良質な映画だった(リンコ入院は無理やりな感じだったけど)。
特に、リンコが夜中~明け方まで編み物をするシーンは、穏やかな画面でありながら、彼女の消化できない燻った感情がうまく表現されていて好きだった。
トモ、カイ、リンコ、はまたそれぞれに傷を負ってしまったのかもしれないが、 切なく、少し笑ってしまう結末に、彼らの希望が託されているように思った。
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