おっちゃん

めぐりあう日のおっちゃんのレビュー・感想・評価

めぐりあう日(2015年製作の映画)
3.5
久しぶりの岩波ホールである。最近のシネコンやミニシアターの設備が良いので、かなり老朽化を感じてしまうのだが、ここでしか出会えない作品も多いので、重宝である。予告編を観たりすると、やっぱりいくつか心惹かれる。帰りに思わず前売を買ってしまった。
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さて、これはフランス映画である。幼き頃母親に捨てられた、理学療法士の主人公が、30年の時を経て母探しの旅に出るというお話である。監督も同じような体験をもつという。少し前に取り上げた「ミモザの島に消えた母」とトーンが似ているのだが、この映画の興味深いところは、主人公が理学療法士であるということである。確かに凝り固まった心を解きほぐしていくときの「言葉」の力は強い。饒舌だとか理屈が通っているというよりも、「美しい言葉」を話す人は魅力的である。しかし一方、身体にはたらきかけながら、心を緩めていくという(副産物なのかもしれないが)仕事も魅力的にうつる。ゆっくりと時間をかけて…なんだか奥が深そうだ。確かにある人(自分も含めて)の健康について考えるとき、決してものの例えではなく、「心身」という風に考えることは大事なのかもしれない、「表裏」と同じように。
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さて、主人公の「母親探し」に話を戻すと、それは「自身の過去」というジグソーパズルの重要な数ピースがなくなっている状態だといえようか?見つけてきた数ピースを埋めることで美しい画になるのだろうか?勿論、そうなってほしいとも思う。ただ自分自身に置き換えてみると、あえて油性マジックで黒く塗りつぶしたピースが何個もあるような気がする。黒歴史ということか?まぁ塗りつぶしているのは「父親」のことなどである。他にもあると思う。「もしかして、ベンジンで黒をふき取ったときに、美しい絵柄が…」とは、今更思わない。
勿論、主人公は、ピースの図柄を見ていないのであって、私のように消したのではないので同列に扱うことはできないぐらいはわかっている。
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それにしても、過去を追う者、消す者、違いはどこにあるのか?単に心理状態の一過性のものなのか、ぼんやり考えながら神保町を後にした。