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ブレードランナー 2049のArkのレビュー・感想・評価

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
4.3
2023-60
2049年、カリフォルニア。捜査官Kは、レプリカントのサッパーを解任した後、彼の家付近にある木の根元に“61021”という数字を見つける。Kは、自身の記憶にある木馬のおもちゃに彫ってある数字と一致するため、誕生日であると確信する。レプリカントが人間同様生殖機能を持っているという事実は、人類至上主義を持つ人間にとって脅威となる。そのためマダムはこのことに関する全ての物事を抹殺するようKに指示する。Kは自身の正体を探り始めるが……。


ネタバレあり






自分の中にある記憶……木馬のおもちゃを子どもたちに取られそうになって隠した記憶。レプリカントとして「スキンジョブ(人間もどき)」という差別用語を浴びせられて生きてきた名も無き男Kは、自分が製造されたレプリカントではなく産まれてきた人間であると思いたかった。
自身の“記憶”を製造者アナ・ステリン博士に見てもらい、「誰かの記憶。本物の記憶」だと彼女が言ったことから、自分が人間(デッカードの息子)であると確信する。しかしそれは勘違いだった……。ステリン博士こそがデッカードの娘で、涙のわけは彼女にとって特別な記憶だったから。
後に、どこかに存在する“本物”の母親レイチェルが産んだのは娘だったことが判明。同じDNAを持つ男女の存在、どちらかは“本物”でどちらかはコピー。そのコピー、偽物こそがKだったのだ。Kはここで初めて、自分が“目くらましの為に作られたコピーのレプリカント”だと知り、酷く落胆する。
子供時代がないレプリカント。自分の存在も記憶も、“本物”か分からない。レプリカントは誰もが自分は「人間だと思いたい」のだという。
Kは一抹の希望を抱いたが、呆気なく砕け散ってしまった。

絶望するKの姿に胸が痛む。
主人公が襲撃されまくって傷だらけになっていくのは私の好きなタイプ。
終盤にかけて致命傷を負いながらもデッカードを救出するのカッコよかった〜。水に浸かって呼吸しにくい状態で首を絞めるのは大変そう。でもこのデッカード救出の一連のシーンが1番見応えあった。

デッカードを研究所に連れて行き娘に合わせるラストシーン。雪が積もる階段に横たわるシーンで、「そんなところで死ぬなぁぁぁ」と思った(笑)一面に深く雪が積もる屋外、階段は硬いし、なにより極寒だし。最悪の死に場所でしょ!「そんなところで死ぬなぁぁぁ」って思うよ。
でもKの生死は不明だから、助かっている可能性も無くはない。

製造された“人間もどき”でも人間と同じように感情があり、自分がレプリカントだと自覚していても自分も人間だと思いたい。それはホログラムのジョイも同じで、Kを愛し、人間として実体を欲しがる。
人間とレプリカント、人間と人工知能の違いはなんだろう。なんとなく考えさせられる作品。

ジャレッド・レトー演じるウォレスは何者なのか分からなかった。

デッカードはレプリカントらしい。1作目は観てないけど、1作目では人間として描かれていたらしい。
しかし、1作目から既にデッカードがレプリカントだという設定があったらしい。更に監督は、「『ブレードランナー2049』では、デッカードがレプリカントでないと話が成り立たないんだ」と言及し、彼がレプリカントである事をハッキリ公言している。
確かに、ただの男が放射能だらけの荒廃した場所で1人(とワンコ1匹)で暮らしていけるとは考えにくいかも。

前作を観てなくても楽しめたけど、観ていればもっと楽しめると思う。
ライアン・ゴズリングの静かな演技がね〜、製造されたレプリカントの無機質さ、その中にある人間らしさを感じさせてくれて良かった。

本作に登場する未来都市の中に、やたらと日本語が散りばめられているのがずっと不思議だった。見ていると、韓国語、中国語、日本語があちこちに。
理由は、監督のリドリー・スコットが近未来の街を描くにあたり、来日した際に見た新宿・歌舞伎町の街並みが忘れられなかったかららしい。
ライアン・ゴズリングを見ながら字幕ではない日本語を読むのは、なんだか変な感じだった(笑)

DUNEと同じ監督だからか、雰囲気と音楽が非常に似てた。ああいう重低音が特徴的な音楽、大好きなんだよねぇ。近未来SF感を増長させていて素晴らしい。エンドロールで流れる音楽もDUNEのとよく似てる。全体的にデザイン性が最高でセンスの塊。
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