カヨ

It Is Fine! Everything Is Fine.(原題)のカヨのネタバレレビュー・内容・結末

4.8

このレビューはネタバレを含みます

カナザワ映画祭2016にて

主演のスティーブン・C・スチュワートは脳性麻痺を患っており、身体を自由に動かすことはできず車椅子に座って移動する。
口や舌を動かすことも難しく、何を言っているかは誰も(一人を除いて)聞き取れない。(字幕は常に「xxx」で表現される。)
そのスティーブン・C・スチュワート氏が主演、脚本を務めた(監督はクリスピン・グローヴァー氏)のが、本作「It is Fine! EVERYTHING IS FINE.」だ。


(本編あらすじ)

映画は、高齢者の養護施設と思われる場所から始まる。
周りには白髪でロングヘアーの女性が全員車椅子に座っている。スチュワート演じるポールは床に寝そべって隣に車椅子が転がっている。看護師は雑に車椅子を立て直し、病室までポールを運ぶ。
病室には母の写真とポールの幼い頃の写真。ポールはその写真を眺める。

シーンは変わり舞踏会。ポールはロングヘアーの美しい女性に話しかける。
女性はポールの言葉が理解できて当たり前かのように躊躇せず返答する。
その瞬間、この映画はファンタジーだということがわかる。

話しかけた美しい女性とポールはデートを重ね距離を縮めるが、女性はポールのことを友人だという姿勢を崩さない。
女性は離婚しており、娘と息子がいる。娘はロングヘアーだ。娘に対してポールが性的なフェティシズムを向けても、女性は気付かない。

とあるデートの時、ついにポールは求婚する。
女性は彼に好意を抱いていながら、それを断る。
二人はキスをして、夢中になったポールは女性を殺してしまう。

それからのポールは、会う女性みんなを夢中にさせ、性行為に及び、女性を殺してしまう…。


(Q&A)

クリスピン・グローヴァー氏の監督作品を上映する際は、必ず本人が立会い、ビッグ・スライドショウ(写真で一言みたいなやつだった)とQ&A(観客から質問を集う)がセットになっており、映画単体の上映はしないようだ。

Q&Aと言いながら、クリスピン・グローヴァー氏は一人で三時間ほど「It is Fine! EVERYTHING IS FINE.」を制作した経緯やスティーブン氏のことを話してくれた。

元々、スティーブン氏が映画の構想を持っており、それを知ったとあるドキュメンタリー監督がグローヴァー氏に声を掛けた。脚本を読んだグローヴァー氏はこれは絶対撮らなければいけないと感じ、資金集めを始めた。チャーリズ・エンジェルの出演料のほとんどはこの映画に使われたそうだ。

撮影が終わり、編集をしていたグローヴァー氏にスティーブン氏から電話があった。
スティーブン氏は撮影中も具合が悪かったそうだが、撮影後更に具合を悪くし、生命維持装置を使わなければ生き続けるのは難しい状態だった。
スティーブン氏は生命維持装置を使うことを拒否し、「もう追加撮影はないか(生命維持装置を使わなくても問題ないか)。」と聞くために電話したとのこと。
グローヴァー氏は「もう追加撮影はないよ。問題ない。」と伝え電話を切った。その一週間後にスティーブン氏は亡くなった。

スティーブン氏は生まれてからずっと母親と暮らしていたが、二十歳の時に母が亡くなり、それから十年間、高齢者養護施設で知的障害者として介護されながら暮らしたという。
しかし、スティーブン氏は知的障害は抱えておらず、物事を年相応に判断出来ていた。
その十年間は、とても屈辱的な経験であっただろう。
その後、施設を移ることができ、文字を書くことで意思疎通を行なったそう。


(感想)

人間には役割がある。
生まれた理由はない。生きるための理由はない。でも、役割があるんだ。
役割は他人から宛行われる訳ではなく、自分で見つけ実行する。その結果が形になることがある。その形がこの映画だ。
スティーブン氏個人の役割が果たされ、存在を焼き付けたこの作品はずっとどの作品にも似ずに映画として存在し続けるだろう。
私は、映画という媒体の懐の広さに感謝した。

スティーブン氏が養護施設で過ごした十年間は想像に絶するが、彼は自分の意思を失わなかった。

私が失い続けた意思は形も作らずどこかに行ってしまった。
単純なことを思う。
私の役割とは。
カヨ

カヨ