ナチスのホロコーストはあったのか、なかったのか
その事についての裁判に思われるけれども、核になる部分はそこではなかったと言う映画でした
この映画を見て思ったことは
私が感情的・感覚的で物事を進める人が苦手だと言う理由を
説明してくれているなと言う事でした
一つお方面からの理屈ではなく、一つのことに携わる多方面のことの理屈を同時に考えて話さない人や、データや、エビデンスを面倒臭いもの。として捉える人が多くて、とても苦しくなったことがある。
なんで、こんなにも話が通じないんだろうと。
何を言っているかよりも、誰が言っているかで”真実”が決まってしまう世界が、私には窮屈でならない。
こんな世界からはみ出して生きていきたいと思った自分があながち間違いではなかったなとそう思えた映画でした。
真実は一つではないけれど
事実は一つ。かぁ。