MitsuhiroTani

否定と肯定のMitsuhiroTaniのレビュー・感想・評価

否定と肯定(2016年製作の映画)
5.0
ホロコーストを題材にした作品を語るのは非常に難しい。大衆に選ばれたはずの政党である国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が、ユダヤ民族を殱滅しようとしたことであることは勿論分かっているが、私自身ある種の絶対悪としての単純な評価軸しか持っていないからだ。
ナチスを歴史の一部としてしか知らない僕にとっては、不謹慎ながら魔女狩りも、キリシタン弾圧も、南京大虐殺も、原爆投下も皆、数多ある人間が人間に行った過去の恐ろしい所業として、心理的にも、時間的にも同じ距離感なのだ。

本作の凄いところは、ナチを翼賛し、アウシュビッツの悲劇を捻じ曲げるネオナチ紛いの怪しげな思想家を懲らしめる正義の一団を描いているようで、実はそうでないところ。アウシュビッツはナチス、ヒトラー指示によるホロコーストの舞台だったとする今や当たり前の“史実”を語る歴史学者の主人公を、この“史実”を否定する歴史家が糾弾し、名誉毀損で訴える裁判劇であること。

その結果、ひたすら訴訟として対処する事務弁護士の冷静や、訴訟として論証に情熱を傾ける法廷弁護士のイギリス人弁護団にプロフェッショナルを感じて僕は終始喝采し、終始冷静ではなく感情的で、観ている者に苛立ちを感じさせる魅力無いユダヤ系アメリカ人の主人公に知性の低さを感じてしまった。(鑑賞した人には同じ感想を持った方がいらっしゃるのでは)

冒頭に述べた単純な評価についでいけないのはそこだ。主人公の彼女や、実際に弾圧を受けた方々、その家族と想いのベクトルは同じはずだが、ユダヤ人迫害の当事者ではない私の感情は浅い。だから彼女の苛立ち、感情の高まりをユダヤ人の苦難から生み出される心情の吐露とは見ず、慎み深い英国人との対比で浅はかなアメリカ人的に捉え、受け入れられなかったのだろう。

劇中、ワイン片手に彼女の部屋を訪ねた高齢の法廷弁護士が、裁判相手の歴史家の握手に応じなかった理由。
裁判後も歴史家が主張を変えないことをテレビで観ながら電話する若い事務弁護士の、電話の反応。
弁護団の中でも彼女との距離感が異なるような気がして、少しホッとした。
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