Shiori

否定と肯定のShioriのレビュー・感想・評価

否定と肯定(2016年製作の映画)
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原題’Denial’は「否定」という意味の名詞で、裁判の発端となったリップシュタットの著書のタイトル('Denying the Holocaust: the Growing Assault on Truth and Memory)でも「否定(denying)」という単語が使われている。アーヴィングが裁判を起こした理由はここにあって、多くの否定論者は自分たちが「否定論者(denier)」と呼ばれることを快く思っていない。彼らによれば、彼らが行っているのは史実の「否定」ではなく「修正(revision)」であり、よって彼らは「修正主義者(revisionist)」を自称する。
いろいろ気になったのでwikipediaでざっと調べたところ↑これらの情報が出てきたんですけど、ここらへん結構重要なんじゃないかなと思いました。映画冒頭でレイチェル=リップシュタットが「否定論者と議論はしない」と言っているシーンがあって、その理由を「時間の無駄だから」としているんだけど、実際はもっとちゃんとした理由があって、それは否定論者と議論をすることで「肯定v.s.否定」という二項対立が作り出され、ホロコーストはなかったという意見が実際にそれがもつ以上の重みをもってしまうことを懸念しているからだそうで。で、リップシュタットによれば、彼らはそれをわかっていると。だからアーヴィングはわざわざリップシュタットのことを訴えたわけですね。議論の場に引きずり出すために。で、「議論はしない」と言っていたリップシュタットがなぜこの挑発に乗ったかと言えば、この裁判の主な論点が「アーヴィングがホロコーストを否定しているか否か」というところにあるから。リップシュタットはアーヴィングがホロコーストを否定しているということを証明すればよく、それは「肯定v.s.否定」の議論にはあたらない。

……ということだと思うんだけど、こういう事情が、映画を観ただけでは(私は)わからなかった。アーヴィングが「名誉棄損だ」と騒ぎだしたのがそもそもよくわからず(彼らの認識の中では史実を否定しているわけではないということになってる、ということを知らないので)、わからないまんま物語は進んでいくので、終始もやもやした感じ(「これなんの裁判?」)を抱えざるを得ないというか……。

なんかでもリップシュタットや生存者の女性が証言台に立って華麗に論破!みたいな展開にならなくてよかったなと思った(実際の出来事もそうだったんだろうけど)。途中にもあったけど、これは信頼の物語だもんな。否定論者を論破する物語ではなく。自分の大事なものを他人に託せるかどうか。
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