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否定と肯定のぴのレビュー・感想・評価

否定と肯定(2016年製作の映画)
4.3
原題では「否定」のみらしく、なぜわざわざ『肯定』も入れたのか謎。
アーヴィング側の主張にも理解を示しているようにも取れるし、明らかにおかしな理屈を述べているのに「そういう考え方もある」みたいな表明の仕方をよくする日本特有の痛い発想もちらつく。デボラ自身も「2つの見方があるように思わせてしまう」と怒っていた。タイトルでそれをやってしまう邦題を考えた日本のお粗末さを思うと頭が痛い。

アーヴィングはまるでアンチフェミニストや歴史修正主義の人たちを見ているようだった。相手をバカにし優位に立つために事実を曲解し徹底的に侮辱し差別する。
デボラが最後に言っていたように、表現や発言の自由はあるが嘘や内容に対する説明責任の放棄は許されない。
アンチフェミニスト、歴史修正主義者や自称・表現の自由を守る戦士のような方々はアーヴィングのような人の言うことを反証せず、都合の良い思想だから乗っかっていることが多い。誤りを認めると死んでしまうとでも思っているのか、事実を突きつけられても相手への侮辱を喚き立てて聞く耳を持たない。
映画冒頭でデボラが「プレスリーが死んでいることを議論してもしょうがない」という言い方をしていたがまさにそう。議論するレベルですらないのに、「議論しない」と怒っている。地動説か天動説かのレベルの議論の余地もない事実に対して議論してもしょうがない上に、相手は自分の意見を押し通すためならどんな侮辱も行う人だ。
今の日本の抱える問題ととても親和性が高いと感じた。

デボラはとても強く正しく、優しい。そして女性でユダヤ人という属性が彼女を窮地にも追い込むし奮い立たせもしてきた。その彼女が「良心を他人に委ねる」ということがどれだけ恐ろしく辛いか。ただ見ていれば感情的になって怒る人だから法廷では黙っていろ、とデボラについて思うかもしれないが、間違っていることや侮辱されることに対して堂々と怒ることができることは何よりも強くて優しいことである。目を背けて知らないふりができる人は差別や侮辱から遠い場所にいて、それについて考えずに生活できる強者の立場にあるだけのことだ。
裁判に勝つためだけでなく、裁判に関わってくるユダヤ人たちの人権保護にまで真剣に考えてくれる弁護士たちとのチームワークも素晴らしかった。
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