百合

ムーンライトの百合のレビュー・感想・評価

ムーンライト(2016年製作の映画)
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愛してる。
ようやっと見られました。とにかくカメラワークが上手い!!!!不安定で神経質な少年のこころの動きをこれほどとらえた撮り方ってなかなかできない気がする。美しい。光の取り入れ方も巧妙でした。映像酔いが激しいとおっしゃってた方もいたけどわたしは平気だった。ひたすら見とれていたよ。
人種、家族との関係、性的マイノリティ、どれもアップトゥデートな話題すぎて狙った感は否めませんが…すべての道徳に対する反抗というか。いいえの答え。
フーコーは生権力という言葉をもってひとに「セクシュアリティを自認させることそのもの」が「抑圧になり得る」とした。シャロンは自分のセクシュアリティを自覚していない段階から周囲にいじめ抜かれ、母親さえもその原因に手をこまねいている。シャロンは「ゲイであること」を生権力たる周囲の友人に黙らせられ、またそのふるまいをもってより一層「ゲイであること」を意識させられているのだ。抑圧に抗う術を教えてくれる唯一の存在としてのフアンは、主人公に「世界の中心にいること」「自分の生き方は自分で決めること」だけを伝えて死んでしまう。庇護者を喪った主人公は生権力に屈し、いじめっ子に復讐を遂げた挙句身体を鍛えヤクの売人となってしまう。世界の中心に行くことはできなかったのだ。しかしかつての恋人に再会したとき、彼の世界もまた再開する。主人公はゲイである自分を受け入れ、恋人への気持ちを告白するのだ。かつてのように彼が主人公を抱きしめるところで本作は終わる。
一見、受け入れがたい自らのセクシュアリティを受け入れ、やっていく覚悟を決めた黒人男性の美しい物語に思えるが、本当にそうだろうか。わたしには結局のところひとの視線の無力さを思い知らされたようだった。ムーンライト、日本語なら月光というべきだろうか。わたしたち人間は、「あれではない」という点で自分の立ち位置を測り、自分を規定する生き物だ。だから非異性愛者は忌避されるのだし、黒人も、肉親を愛していない人も忌避されるのだ。「あれではない」と思うとき「あれ」に投げかける視線というのは強力で、得てして無色なその対象を「あれ」に染め上げてしまう力を持つ。はじめは不安定な子供同士のラベルの貼り合いから始まった「ゲイ」というセクシュアリティは主人公の一生を規定することになってしまう。その意味ではよき父フアンも生々しい母親も子供達の残酷な遊戯の一端と言えるかもしれない。
わたしたちはなにかに照らされることから逃げられない。月の光に照らされて、わたしたちが青く輝くとき。その輝きは何によってもたらされるものなのだろうか。その青さは、それを観測する誰か、そしてそれを自認する自分の視線から生まれるものに他ならない。我々人間は絶えずなにか自分よりも大きなものとの距離と位置関係を測って自分を規定する生き物だが、それがそのままわたしたち自身のすべてを規定することを許していいのだろうか。我々はそろそろ、月が輝く青い光の夜から脱出するときなのかもしれない。
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