パワードケムラー

ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章のパワードケムラーのレビュー・感想・評価

1.5
 CGはまあまあ良かった。しかし、キャスト選びと脚本がなぁ......邦画の限界を感じた。正直、事務所からゴリ押しされた俳優ありきの作品づくりは業界内での評判を上げるのかもしれないが、観客からしたらウンザリするだけだ。

 山崎賢人はもやしっ子のようで怒り慣れていないのか睨んだときに凄みがなく、億泰は逆に綺麗すぎる。承太郎も老け過ぎているし、何より衣装(特にカツラ)がこれでもかとミチミチの毛髪量で、リーゼントやオールバックといった当時の流行りの髪型の漫画的表現をそのまま“造形”したようだ。そのせいでただでさえ無理矢理なハーフ設定維持のためのカラコンがあるにも関わらず、余計に画面上から浮かせてしまっている。キャスティングで成功しているのは大物っぽいアンジェロと、ヤンデレ完全再現の小松菜奈ぐらいか。

 そんな低評価作品でも一つ学びがあるとすれば、それは映画は一人でつくるのではなく、巧みなチームプレイの産物であるということだ。映像美を追求したい撮影班・美術班・VFX班と、あくまでも夢だったスタンドバトルを描きたい企画プロデューサー、とりあえず形にしないと不味いと慌てる脚本家、全員をまとめないといけない監督、そして広告会社や事務所との兼ね合いで口を出してくる製作委員会......全員がちょっとずつ別方向を向いているせいで、漫画を切り貼りしてつくったようなチグハグさがある。

 脚本ではそれが目立ち、スペインの美しい街並みに似合わない変な日本描写、時代がよくわからなくなる言い回し、無理にDIOのことを触れないせいで“矢”の存在や虹村兄弟の父親が怪物になった理由など初めて観る人にはわからない展開の数々......どれも誉めれたものではない。

 また、それに対するスタンドバトルと映像美への熱いこだわりを表すように、クレイジーダイヤモンドは筋肉的な美と鉱石の煌めきを両立させており、そこにコロッセオの戦士のようなスタンド像からメカニカルなスタンド像への転換期の象徴であるチューブが良い味を出している。スタープラチナも出番こそ少ないが、クレイジーダイヤモンドよりも生身の戦士のようなデザインが際立ち、スパルタンな印象を与える。また、両者とも皮膚がスパイダーマンのスーツ生地に似たものになっており、これがザ・ハンドのようなメカニカルなデザインのスタンドとの差別化を図っている。(ザ・ハンドのようなタイプは金属光沢のある皮膚になっている)

 承太郎VS仗助戦では、短いながらもラッシュの打ち合いを見せており、それ以降もスタンド使い同士のみ以外の場面ではスタンドのヴィジョンを極力映さないというにくい演出もあった。VSアクアネックレス戦では、アクア・ネックレスの美しい水面描写とそこに映る不気味な顔、3部のジャスティスを思わせる湯気の姿が印象的だった。VSザ・ハンド戦では掌の空間が稲妻と共に歪み、仗助が感じた「凄み」を観客も感じることができる。
 
 一番の見どころはVSバッド・カンパニー戦で、ベトナム戦争風の装備から現代風へと変更された極悪中隊の攻撃が素晴らしく生々しい。壁に空いた銃痕から光が差し込む描写や手の傷から見える鉛玉の輝き、適度に玩具っぽい外見とミサイルや砲撃の総攻撃にクレイジーダイヤモンドのラッシュ対決など、見どころがこれでもかと詰め込まれている。

 台詞から弱点を導きだすところや、可愛らしく(?)暴れてみせるエコーズact1を時間稼ぎに利用する展開などは実にジョジョっぽい。この完成度には、モデルになったであろうスティーブン・キングの短編集『深夜勤務』に収録されている「戦場」もビックリだ。同作の完璧な実写化の一つかもしれない。(また、『深夜勤務』には虹村兄弟の父親のモデルになった「灰色のかたまり」という作品も収録されている)

 ここまでスタンドバトルをほめてきたがそれでも完璧とは言い難く、シアー・ハート・アタックが凄いスピードで突っ込んできて、爆発したらピョーンと窓から飛び出して帰っていくのには思わず笑ってしまった。

 全体を通して映像美や描きたいエピソードに注力したがばっかりに初心者には理解が困難な物語かつ、ファンからしたら物足りない物語が誕生してしまい、本当に惜しい作品になった。

 映像美を追求した結果、全編スペインロケを敢行したが、そのような迷キャスティングと継ぎ接ぎ脚本で採算が取れるわけもなく、案の定『第一章』で終了している。それでも各所に続編を暗示させるものがあり、手の美しさを褒めるように広瀬康一に迫る山岸由花子(おそらく彼女が吉良吉影に狙われることで仗助たちが吉良親子と戦う展開にするつもりだったのであろう)や、シアー・ハート・アタックの攻撃に意味深な吉良亭の場面とアップになる全部3位のトロフィー、そして紙袋に入った手首と“矢”の存在......本当にどこまでも惜しい作品である。