歪み真珠

そうして私たちはプールに金魚を、の歪み真珠のレビュー・感想・評価

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短編映画をみたのははじめて。あのスピード感は短編特有のものなのか、それとも映画特有のものなのか。比較するものがないからわからない。想像するに、やっぱりCMプランナーさんが撮ったからこの速さなんだろうとも思う。

都会派きどったダサい田舎(これは悪口。いわゆるマイルドヤンキーの棲息地?)の閉塞感と女子中学生の自意識と、そんなイメージをコラージュしたみたいな映画。


けっきょく私たちは金魚を見れなかった、けっきょく私たちのしたことに意味なんかない。けっきょく、けっきょくそうだ。
大人になったら、そのけっきょくがどうなると思う?大人になったわたしが言えるのは、『けっきょく』ってけっきょくなくならないよ。(社会人だし、多少料理ができなくても、掃除が苦手でも自分のこと大人って言っていいよね。納税者だし。)
でも小学校、中学校、高校、大学、そして社会人と大人になるにつれて自分で選択できるものの幅が広がるじゃない?何を専門に学ぶのか、どんな服を着るのか、どんなところに住むのか、何を食べるか、どんな仕事に就くのか。自分で自分の人生を選択していくのってめっちゃ楽しいよ。だって自分の選択の結果がこれなんだから。
あなたの湿ったため息の『けっきょく』が、自己受容の『けっきょく(行きつくところはあなたのベストだ)』になるといいね。
って昔の私に言ってあげたい。
とまあ、偉そうに書いてはみたものの彼女たちの言う「けっきょく」はとてもまぶしかった。そこに含まれる臆病な自己陶酔が甘くて懐かしい。何もかもがこわいくせに何にもこわくなかった気がする。人生のその季節ごとでしか味わえない息苦しさってあるんだろうな。そのときはただ必死なんだけど、あとから振り返ると何ともかわいくて懐かしい苦しさだ。

狙いすぎだけど、ブラのホックの掛け違いはずるいよね。
それとこのタイトル。何度も反芻してしまう魅力がある。「そうして」っていうのがいい。このそうしては永遠にわからない、原因のない「そうして」だ。

「ポジティブこわー」、「ポジティブがうつるよ」の台詞が眩しくてすき。