slop

ケイト・プレイズ・クリスティーンのslopのレビュー・感想・評価

4.0
『Kate Plays Christine』
2016,112min,America
at 渋谷 ユーロライブ

本作は今日のユーロライブで全2回上映された。そしてきっと2度と日本では上映されない。(されるらしいっす笑笑笑笑)

“スパイスの効いた女性になりたい。家族にも恋人にも、よい友人たちにも。”ーー生涯で1度も恋人を持たず友人もいないChristine Chubbuckが日記に残した言葉。サラソタのチャンネル40のジャーナリストだった彼女は、1974年、ニュースの生放送中に自らの頭蓋骨に拳銃を当て自殺する。そしてそれは一時期注目されたが、すぐに世間に忘れ去られた。その人物をKate Lyn Sheilが演じ、その様子を監督Robert Greeneが撮影したドキュメンタリー、映画内映画となっている。Kateは“なぜChristineはそのような自殺を図ったのか”や、彼女が抱えていた心の病についてなど、より彼女の内側に迫るために外見以外にも実際に楽園のような街サラソタに住み、数少ない写真や映像だけでなく、彼女に関わる人々にインタビューをしChristineの持つ激しい感情をより自らの内面からひきだそうと努力をする。インタビューの中でも、「彼女の死は無駄だった。無意味だ。」という言葉や「“彼女が自殺した”ことにより、Kateが特に突出した訳でない彼女を演じ、追い、"あの瞬間”のためにそれについてを掘り起こしているのは自明だ」など、Christineに関係する人々の色々な見解が伺えた。またChristineの映画に出演する役者達のそれぞれの“自殺”についての説明などが続く。そして身も心も時間もChristineに捧げるうちに、Kate自身が彼女に影響を受ける。しかし、それは苦しみを伴うものであり、無条件に自殺を図ったChristineを崇拝するものでは決してない。“認識されたい”という欲求、誰にも向けることの出来ない深い孤独を持つ1人の女性としてシンパシーを感じるも、冷たく凍りゆらぐことのないChristineの自殺の事実と、Kateがファイナルシーンで自身の頭に引き金を引くという演技はもはや平行線ではなく、そこに彼女の自由や選択があり、事実と演技が対立する。Christineにのめり込んでいたKateの心情が変化するというより、根本的な疑問が確固たる理由を持って表面に顕れる。どんな手段をもってしても100%理解することの出来ない「他人の自殺」を描くことに虚無を感じ、それに期待している観客に、それの持つおぞましい愚かさを、まるで鏡に映して観客に見せつけるかのようにして、観客に対して銃口を向け、その愚かさの味を存分に味わわせる。真実たるものであるはずなのに、‘ドキュメンタリー’テイストではないのは、Christineにおける事実や様々な考察、それを演じるKateと、それを観てる観客の境界線や、向けられてくる矢印の向きがあやふやになっていくところが、判然としない、寧ろこちらに委ねられる部分が多いからだろう。この映画は(意図的に)失敗作となったが、これを撮り終えたKateの表情は湧き出る生に満ち溢れ、今までの“見られるために演技をする”彼女とは180度変わっていた。
slop

slop