ポケモン映画をみるのはルギア爆誕以降なので18年ぶりでしょうか。ポリゴンショックも見ていた、無印時代のファンです。ゲームとしては金銀まで、ということで大人層としては狙いの層なのでは?と思いますが、この作品をそのまま見ると、2.5上げれるかどうかという内容です。
まず、カスミ・タケシではないこと。女の子が水ポケモン使い、男の子がポケモンに詳しいという設定はどう見てもカスミ・タケシで問題ないどころか、その方がよいポジションです。
また、最初期の話としては、自転車奪ってまでピカチュウを助けようとする、サトシという人柄に惚れているのに、それがないというのはとてもつまらない。
ピカチュウとの絆の深まりといえば、やはり、最初の出会いと自転車、イワーク戦、ピカチュウの森なので、結局さいしょの 出会いしかないこの映画は中途半端なのです。
あと、一番の問題は、夢の中の学校の話です。あれはなに? という感じです。 ピカチュウ、ヒトカゲでなくゼニガメやフシギダネだったらという話なのにそれを真っ向に描けない脚本はただの屑です。逃げです。
最後もあのおじいさん何なの?という風に全く分かりません。
ただ、ならなぜこんなにスコアが高評価なのか。
これ、twitterで出てた一つの仮説を入れると、妄想力300%でいい映画になるんです。
それは、この映画が、サトシがポケモンマスターになったあとピカチュウとの話が伝説となり、映画化されたという仮説です。
この仮説があるとキャラクターが変更されていること、自転車を奪うという違法行為はさせられなかったこと、ピカチュウとの絆話が最後のシーンまでなかったことが説明がつくのです。
(キャラクターが変わるのは実写化ではよくあること、違法行為を伝説のポケモンマスターにはさせられないこと、ピカチュウとの絆話は最初のであり以外、サトシの心の中にしまっているとか考えると知っている我々の優越感です)
そうすると今度はなぜ学園生活が出てきたのか?それは映画化されたときの世評を表しているのではないでしょうか? 昔は虫取りに励み、虫の名前はなんでもしていた子供たちがいない現在。そのような世界が、来ているのではないでしょうか?また、映画の中でもポケモンマスターという言葉がありません。トレーナーは存在するけど、言葉自体が衰退しているのです。アニメ初期を見ている私には考えられません。 みんなポケモンマスターを目指しているからです。
後はあのおじいさんが実はレッドなのではないか(レッドは金銀で山にこもっているように、長い間山にこもっています。)また、実はあの強さだけ求めるライバルはレッドなのではないか?とも思えます。(アニメでもレッドは存在し、ヒトカゲを最初のパートナーとしています)
何て妄想を続けていると、自分たちの見ていたアニメを否定されたのではないと思えてきます。
そうすると今回のスコアぐらいになりそうです。
これは向こうの世界の実写化なのでぐらいな気持ちで見ると、良作です。