事件のことはとても印象に残っていて、事件後のオリンピックの結果も覚えていたけど、裁判があのような形で終わっていたのは知らなかった。
暴力と貧困に支配された生い立ちから、才能だけで成り上がろうともがき、結局はその出自ゆえに成り上がれなかったトーニャ。抱いていたビッチなイメージとはかなり違っていて、切なくなった。
アメリカでも日本でも、世間は偏見によって嫌われ者を作り上げ、それを叩くことに快感を見出すんだなと思った。
あの強烈な母親!
稼いだお金をトーニャのスケート代にあてるその献身と暴力が共存している不思議、いざとなれば娘をマスコミに売ることまで考える。あの母にとって娘って何だったんだろう。