百合

アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダルの百合のレビュー・感想・評価

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人の世は悲惨

言ってしまうとオシマイですが。
トーニャが母親によってスケート以外の選択肢を塞がれたのは論を待たないし、冒頭から明示される‘クソバカ’になったのも母親の歪んだ支配によるものに他ならない。彼女のような才能のある女性がかようなクソ環境しか与えられなかったのは悲劇としか呼べず、愚かな母親を断罪したくなる。が、そのような母親の元だったからこそ開花した才能なのかもしれず、誰かが少しでも優しければトーニャはトリプルアクセルを跳べなかったかもしれない。マジで人の世は悲惨。
(結果として襲撃事件を引き起こしてしまうことになる)バカ旦那と縁を切れないのも、彼女のような生育環境の女性にはままあることである。
全体的に人物造形に親しみが持てすぎてしんどくなりましたね。冒頭から最後まで多用される「クソ」や「バカ」という単語にもなんというか愛情さえ感じてしまうというか…およそ共感できないと断じることのできる人は素晴らしい人生なのだなあと思う。これはいわゆるホワイトトラッシュの話ですが、見かけの格差是正がすすんだ現代、日本でだっていくらでも身近に感じることできる家庭であり人生だと思う。「お前はクソだってずっと言われてきたけど、トリプルアクセルが跳べてはじめて、そうじゃない気がしてきた。」ってとても哀切なセリフだと思いませんか。本当は生きてるだけでクソな人間などいるはずないんですが、そこを感じ取れなくて過大なプレッシャーを自分にかけてしまう。その裏面として周囲に異様に居丈高に接してしまう。本当にいくらでもある話。
どこにでもいるような歪みを抱えた女性トーニャの人生は、しかしライバルを襲撃するというれっきとした‘事件’にまで加速してしまうわけですが、ここには彼女のたぐいまれな才能のほかに歯止めのきかない病的なホモソーシャルがあります。
トーニャの夫には分かち難いこれまたクソのような友人がおり、閉鎖的な2人の会話では薄気味の悪いホモソーシャル的世界観が醸成されていきます。キャリア的に成功してはじめて自信を持って夫を拒絶したトーニャに恨みをつのらせるシーンでは、2人は友人の実家にいます。薄暗く狭い部屋で、母親をアゴで使い電話でトーニャに追いすがる姿はその閉鎖的な関係の象徴とも言えます。「男らしくおれが言って‘やる’んだ」と息巻いて外出するシーンにはさりげなくレーガンのポスターが映し出され、彼らの価値観を染め上げたであろうアメリカ80年代保守主義を想起される仕掛けになっています。才能を開花させ華やかな世界で派手に活躍する妻の隣で、夫は己のプライドを誤った方向の「オトコとして」にかけてしまうのです。マジでプライドの裏返しとしてのホモソーシャルはクソ。
しかしいくら特殊な才能があって保守的な価値観にとらわれていたからといって、あのように歪な育ちを経た多くのわたし達が全員他者に暴行を働くわけではありません。事実として被害者女性はその後のオリンピックで見事復活したようですが、モキュメンタリーのていを取っているからこそこの無邪気なまでの一方方向の姿勢はどうなのかとも思います。そこらへんを一気に「これが‘わたしの’事実よ」という事実という理念のボロボロの実態を明かすことで回収するのですが、まあ誤りではないがそれで暴行という実際にあった事件を締めるのは許されないと思います。
母親に人生を歪められ(歪みのない人生なんてそもそもあるのか?という問題は措きます)、その中で必死に掴んだアイススケートさえはく奪されて、それでも次の何かを求めて血を吐きながら笑うシーンはとてもよかったです。すべての母を許すことのできない女性の味方とも取れ、上記の倫理的欠落を加味しても個人的に非常に感動してしまいました。
スケートリンクのシークエンスもとてもよかったですね。わたし達は普通にしていればあのようにスケートを見ることは一生ないわけで、映像的にもとても価値があります。あと悪趣味に明るい音楽。こういう暗く撮ろうと思えばどこまでも暗く撮れるものを暴力的に明るく滑稽にMVのように撮ってしまうこと自体も、事実というものの存在し得なさを明かしているようでいいですね。
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