登場人物の主観によって、ひとつの出来事が好き勝手に姿を変える。「蔑んだ目の夫」「うっとりする妻」「赤ちゃんの肌着まで盗もうとする」は自分の心がそう見せてますよね。
後に「羅生門効果」と呼ばれるほどお馴染みとなる「信頼できない語り手」による叙述トリック。
芥川龍之介の『藪の中』を原作としており、表現としてその叙述トリックが既に存在していたのは確かだが、映像作品としてそれを最初に実行しようとしたのが凄い。映画で実行するとなると、緻密な脚本と編集及び同場面複数パターンで演技する役者の力が必要なのは言わずもがな。特に前者については、70年前の技術でそれをやってるわけだから。
なにより一番感じたのは、「羅生門効果」のオリジンである今作が、それを"トリック"として扱ってないこと。「主観の危うさ」というテーマを描くことに誠実で、観客を過剰にミスリードしない品の良さ。
「信頼できない語り手」を使ったトリックそれ自体が目的になっているフォロワー作品も散見されるため、さすが源流となる作品はちがうなあと思いました。
書いてて思ったんですが、黒澤明御大に何を偉そうにといった感じですね。。
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・読んだことのある『羅生門』とは違うなあと思っていたら最後の着物を剥ぐシーンは、同じシークエンス。小説『羅生門』の主題である「善悪の垣根というあやふや」が登場し、多襄丸パートでの「人間の主観の危うさ」とドッキングする感じは鳥肌たちました。