Few

この子を残してのFewのネタバレレビュー・内容・結末

この子を残して(1983年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます



音が、心臓まで届く…
すばらしいなこの映画
(あまりに良作だったので長い)

いやそもそも、のっけからパワーが全開。
あの拙い日本語のスピーチと、黒い画面に白文字で映る「この子を残して」。
この子、が親になって年老いた頃だろうか。
あのタイトルカットは、
胸ぐらを掴まれた気持ちになって、全部の時間がとまってみえた。人生で、一番あっけにとられたタイトルカットだった。
これは戦争に対する宣戦布告だ。

音が、観客と1945年の距離をぐっと引き寄せている。
時計のふりこの音と過ぎていく日常を淡々と描くことにより、
現代の私たちが持つわずかな原爆の知識を、なんとか経験にしようと試みている。

いつ、この日常がふわりと崩れるかわからない広い不安のなかで、なんとか笑って楽しく生きる人たち。
同じ経験を、観客は通ることはできなくとも、お願いだからその時が来ないでいますようにと祈る気持ちは、1945年の上空で交わったと思う。

否定したいことまで神の前では飲み込まなくてはならない瞬間がある。その意味で、信仰は犠牲を伴う。
原爆のときも、神の求めた犠牲だからと言い聞かせて納得したい人と、信仰ではぬぐいきれない不条理に異議を立てる人、またどちらでもない人が、全員描かれていたと思う。信仰があるために起こる、心の中の摩擦をそのまま映すことは、信仰ではどうにもならないようなことにどう向き合うかという命題にぶち当たる。
人類が絶えないかぎり、普遍の命題だ。

並木道で泣いてしまう息子の気持ちがわかる気がする。場所にある匂いや気配が、
亡くなった人をはっきりと縁取っていく様。記憶は、自分の頭の中でだけ抱えられるようなちっぽけなものではない。
場所を訪れてこそ、記憶がたもてるような気がする。

また戦争がおわったあとにある、
それぞれの戦いをきちんと捉えている。
生き残った者、助けることを諦めた者、
子供、後遺症、傷を負った者、
彼らが、一人で生きようとしないのは木下監督の願いもこめられているのだろうか。
自分を憎む必要がないときに、憎んでしまう。この地獄から救ってくれるのは、他でもない他者です。なぜなら、それぞれ違う痛みと癒しをもっているから。

意外だったのは、建物の重要性に気がついたこと。
焼け野原になった長崎に、教会が建ち鐘がのぼっていく。
荒野の中にみつけた水のように眩くて、
あそこを目指そうって思った人が何人もいたかもしれない。
建物という、大きくて、みえやすい人間の創作物は、一から暮らしを立ち上げるという意味でも大きな道標になっていたんだろうな。

最後10分、観客と永井の一対一の時間と言って良いだろう。
原爆を知らない人たちが、自分自身と対話する時間を丹念につくりあげた1時間50分があってこそだ。
この時間は、原爆の記憶を遺すことや反戦、戦争の被害者についてのみ訴える時間ではなかった。

セットやメイク、役者のまなざしすべてに覚悟と訴えがあって、両手で抱えきれないほどの言葉をうけとる。
どうしようか。と思った。

反戦に理由なんかいらん。戦争はするな。
戦争にも理由はいらん。するな。
理由もなにも求めるな、
過去をみればわかることだ。


そしてわたしは、木下恵介のつくる作品をとても気に入っている。
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