真綿

暴動島根刑務所の真綿のレビュー・感想・評価

暴動島根刑務所(1975年製作の映画)
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発砲のぎこちなさは健在。

前作では、松山の山奥というピンポイントに大江的なロケーションで牛が屠殺されていた。本作では豚が(画面外でおそらく)屠殺される。

家畜は単なる囚人のメタファというよりむしろ、動物のように扱われる/振るまう人間とは別の、より低い階級に置かれたアクターとして存在するように見える。牛と、牛を屠殺する(おそらく労働のために四国の山奥にまで動員されそのまま居着いたと思われる)韓国人がおり、そこに現れた植田(松方弘樹)がそれらを支配下に置く。その閉じた権力構造の中に、より上の階級に属する=より強い暴力を有する警察官が導入されることによって植田は追放されるが、依然として牛がヒエラルキーの最下層に位置し続けることに変わりはない。構造が温存されるという意味で、繰り返される植田の脱獄は革命ではないし、構造の外部にまで逃走できているわけでもない。

囚人が世話=支配する存在であり、食糧でもある豚が刑務官によって剥奪されることへの抵抗であるようにも見える田中邦衛の自殺もまた、監獄という強固な支配のシステムを転覆させるには至らない。革命と呼ぶにはあまりに衝動的な、ゆえにむしろ切迫感のある暴動は、しかしオルタナティヴとしての体制を構築するに至らず、空中分解したまま、既存の権力体制に屈従する形で幕を降ろす。監獄から逃走したところで外部などは存在せず、革命も失敗したあとで、それでも脱獄という行為を続けることこそが自由である、という果たしてこれは戦後的シニシズム──あるいはオプティミズム──なのだろうか。
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