試写会で鑑賞。
去年のいつだったか、末井さんの人生を柄本佑が主演で映画化されるということを知った瞬間に、必ず映画館で観ようと決めていました。
見終わったいま、ふと、思ったことがあります。
なぜ、末井さんは映画化を許可したのか?
末井さんがこれまで目にし、思考したコトの編集が、末井さんの文章であり、その文章というフィルターをかけることで、想いの重たさを消化しようともがいている。
それが末井さんの生き方だと、解釈しています。
その試みの秀逸さ、言葉の選び方、挑み方に、何度も生唾をのみ、黙り込んで圧倒させられてしまう。
名のある写真家、イラストレーター、作家、ミュージシャン、編集者、、、
そういう類の生業に憧れ、実際にプロとしてやっている人の多くが、末井さんに興味を持つ理由は、何なのか?
映画。という響きに大衆はごまかされやすいわけですが、はっきりわかったことがあります。
映像や音楽という、騙し騙されやすい装飾よりも、末井さんの文章は強い。