Laura

女であることのLauraのレビュー・感想・評価

女であること(1958年製作の映画)
3.5
森雅之に原節子、香川京子に久我美子という「王道」の布陣からは想像もつかない奇妙なドラマ。冒頭の丸山明宏の歌声は女という存在の不気味さやるせなさ、面倒くささを看破し、嘲る天使のそれのようで川島らしい見事な導入だが、本編は日活時代の作風とはかけ離れている。
森と原の夫婦宅に香川、久我の若い娘二人がそれぞれの訳ありで転がり込んでくる。未だ子を産まぬ女である原がおそらく無意識のうちに築いたこの一種のレズソーシャルに完全なヘテロ男性である森雅之が絡んで話はおかしな方に展開してゆく。三角関係だの不倫だのといった通常のメロドラマの枠組みには回収されない特異な関係性の中で、同じくヘテロ男性である三橋達也は存在感薄い一方、抑制が効き自罰的な東京娘(香川)とあけすけで欲望に忠実な大阪娘(久我)の対立のドラマが鮮烈。邸宅の階段を利用したアオリ/俯瞰の構図も楽しい。
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