この映画で感心したのは最後の最後で、ここで終わったら一番いいなと思うあたりでちゃんと終わったので最高だった。ミズーリからアイダホまでおよそ24時間かかる(らしい)ドライブが2人に何かしら変化をもたらすかも知れない、期待をはらんだラストだ。
願わくば良い変化であれと思うけど、結局何ももたらさないまま2人とも破滅するのかも知れないし、道中2人が喧嘩や殺し合いを始めるのかも知れないし、車が故障して途中で引き返す羽目になったり酔っ払い運転のタンクローリーが突っ込んできて即死したりするかも知れない。
でも僕にとっては2人が穏やかにドライブを始めるその瞬間があったことだけが重要で、その後で誰がどうなったって構わない。そんなことはどうでもいいぐらいみんなずっとイライラしている。最後に穏やかな表情を見られて心底安堵した。それでいい。
主要人物はたぶん3人。娘がraped while dyingした母親ミルドレッド、警察署長のウィロビー、警察官のディクソン。
物語を牽引するのはミルドレッドで、前半はちょっとずつ頭のネジが緩むにつれて孤立を深め、後半はついにネジが外れて暴走し燃え尽きたり燃え尽きさせたりする。時々ネジを締めてくれるのがウィロビーで、暴走を受け止めるのがディクソンだ。
ほとんど最後(最期)まで、それぞれが何かしらに追い立てられて苛立ち、それぞれの現実から目を背けて余計なことばかりしている。マナコが節穴と化している。
そんななかでもウィロビーは辛うじて真人間に見えたけど、よくよく考えるとウィロビーの仕事はミルドレッドのネジを締めることではなくて他にやるべきことがあるし、なんなら人のトラウマとかを想像できずおそらく人の気持ちに関心もないサイコ野郎だった。
ディクソンはディクソンで体を張ってアメリカの構造的な欠陥を僕みたいなアメリカに詳しくない人間に知らしめてくれるわかりやすい問題児だ。ディクソンとかを使って、アメリカでは警察官やら軍人やらが優遇され過ぎていることを暗に?批判しているようであり、後半のディクソンはほとんどサンドバッグだった。
総じてストーリーだけを眺めるとややハンドルが急過ぎるところもあるけれど、俳優陣の演技その他でうまくバランスが取れていた印象でストレスなく観られた。で、ラストが良かったので最高。