百合

スリー・ビルボードの百合のレビュー・感想・評価

スリー・ビルボード(2017年製作の映画)
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苦み

巧妙な脚本に舌を巻きました。個々人の行動で物語がドライブしてゆく感じ…ミステリーではないですが、ミステリーといっても鑑賞に耐えうる。
映画のスクリーンも思わせる3枚の看板によってそれぞれの人生がこうも変わってしまうこと、その様は映画やあらゆる表現物を愛する人々の理想郷でもあります。
かといってシーンとシーンのつなぎ方は稚拙でした。まあ気になって仕方がないというほどでもありませんが。
人間はたぶん、わりと無意味に理由もなく死んでしまうのだと思います。その現実に直面したとき、わたし達はどうするのか。
この作品で娘を奪われた母親は、その無意味さに耐えられず、看板を立て、怒りまくっています。人によっては攻撃的にすぎると思われるかもしれない彼女の行動は、しかし誠実に感じられました。懺悔や宗教による合理化は甘く、心地よいものですが、彼女はそれを自分に許さない。神はいないし、車を貸さなかったのは仕方がないことなのです。かといって彼女の怒りは八つ当たりというわけでもない。彼女は周囲を責める以上に苛烈に、自分のことを責め続けている。この表現の上手さにかけては女優の手腕でしょうか。わたし達にこれほどに誠実に怒り続けることは可能でしょうか。
その意味では署長が一番小狡い人物なのだと思います。自分の肩に責任を負うようにして、己を責めるようにして、死んでゆくヒーロー。しかし母親の消化も許さない。
等距離に置かれた3枚の看板のように交わることのない3人の関係性は、この1人の退場をもって劇的に変化します。人種差別主義者の粗暴な警官と不運な母親の憎しみは、一人の犯罪者予備軍に向かうのですが、しかしここでも彼らは消化不良を起こします。
看板を下げることなく終わったことにも意味があるのだと思います。「痛いから」という理由だけであらゆる不純物を取り除こうとする世の中にあって、それでもなくなることのない人間の苦味や痛みを表現し続けなければいけない。燃やされかかっても、殺されかかっても、それを辞めるわけにはいかないのです。
正解はないのだけれど、誰が悪くてどこがいけなかったのかを「考える」しかない。道中で考え続ければいいのです。懺悔や直截な怒りに甘えることなく。このことは3枚の看板によって劇中の登場人物たちに永遠に刻み込まれ、そしてスクリーンを見るわたし達にも刻み込まれるのかもしれません。
CGの子鹿へ「かわいいけど、ちがうわ」と言うシーンがすごく痛くてよかったです。もうひたすらに悲しい…
映画なるものへの祈りにも似た苦味の作品でした。
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