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ジョーン・ディディオン: ザ・センター・ウィル・ノット・ホールドのayのレビュー・感想・評価

4.0
この静かで真面目なつくりのドキュメンタリーは、本人インタビューと主著の引用、知人の証言から、著名な作家ジョーン・ディディオンの人生をふり返る。繊細で、鋭く、大胆なディディオンは、映像のなかでも勇敢に、自分の物語をさらけ出している。

大学生のとき、雑誌『ヴォーグ』主催のエッセイコンテストで優勝したのをきっかけにヴォーグ誌で働き、結婚後の60年代後半には夫婦でLAに移住。南カリフォルニアとニューヨークを行き来しながら、執筆活動に加えて「哀しみの街かど」ほか映画脚本を手がけ、1988年ふたたびニューヨークへ。時代のパーソナルなスケッチや彼女自身が闘っている問題を率直につづる、ニュージャーナリズムの初期の実践者だった。

ディディオンの"書く"動機は、徹底的に自分の考え、感情、経験を洞察するためだったよう。インタビュー中過去について話すときに、すべての感覚を働かせて記憶をよみがえらせようと、手を宙で動かしながらことばを絞りだす姿が印象的だった。最大の理解者だった夫と養女の死に立て続けに直面したあとは、自らの悲しみや恐怖とそれを手放すまでを2冊の本でリポートした。

彼女の本には読むタイミングがあると思う。日々、現実に適応することで失われるものもたくさんある。期待や思い違いや幻想で傷ついたとき、本を読んで過去を思い出すという作業は生き直す手助けになる。ジョーン・ディディオンの本を読むことは、人生をふり返るタイミングがやってきたことを知ることでもある気がしている。

このところ、個人的に集中していろいろな年代のニューヨークの映画をみていたのは、最近、ディディオンの『60年代の過ぎた朝』を読んだ影響だった。もっともこのエッセイ集は西海岸を描いているのだけれど。彼女自身はニューヨークとも縁が深い。原書の出版は1979年で、アメリカではクラシック。邦訳は絶版。乾いた目線の手強い文章で固有名詞や歴史も多く出てくるから、再版されたとして今の日本でどこまですんなり受け入れられるのかわからない。メインテーマは、特定の事柄には正しい答えが存在するという信念が間違いと示され、すべての物語の前提に疑いが抱かれはじめた、60年代70年代のアメリカについて。普通の人たちがヴェトナム戦争などの出来事に信じられないほどの罪悪感を抱え、普通でないことが普通に起き、ずっと混乱がくすぶりつづけた。当時の度を超えたヒッピー文化にも冷淡な見方をしている。書くことで社会の注意を今までと別のものへと向けて、ディディオン自身のペースも取り戻そうとした。ものを考えるベースがとても深いところにある人として彼女を尊敬した。このドキュメンタリーでも『60年代の過ぎた朝』執筆前後のことはくわしく本人から語られている。

"私たちは生きるためにみずから物語をつくり、それでじぶんを納得させる"

今月23日、ジョーン・ディディオンは87歳で亡くなった。自分たちが今どこにいるのかを確認する必要性について、気づきを与えてもらえたことに深く感謝してます。
どうか安らかに。
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