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恋は雨上がりのようにの百合のレビュー・感想・評価

恋は雨上がりのように(2018年製作の映画)
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恋愛映画にあらず

マンガの映画化はなまじっか元に絵があるだけ難しいように感じる。マンガのカットの作り方に引きずられて映画ということを忘れてしまっている作品も多い。原作を読んでないので比較しがたいが、その点今回は上々ではないでしょうか。マンガ的だなーみたいなシーンは少なかった。オープニングの舞台の提示、つまりファミレスのシーンとかよかったですよね。あとあきらの出場決意〜決定までのシークエンスもよかった。実に映画を生かしていると思う。逆に図書館のシーンと海、エンディングは安易な光の効果とカット割りで…まあ定番で間違いなくきれいですが。
女子高生に迫られる中年男性というテーマのせいで無用に叩かれた本作品ですが、叩いてる人みんなちゃんと内容見てるんか?というところです。そんなに恋愛恋愛して見えましたかね。あきらの思いは恋愛というかとにかく‘思慕’という感じで、そういう演出のためのあの爽やかな色彩なのに何を…という感じです。
そもそも性愛のボーダーがいまは‘平等’(のうえでの‘同意’)なわけで、またそれは移り変わるものなのです(男性主権を守ることが至上だった時代の性愛のボーダーは‘主権男性→客体の構造維持すること’でありそのころはこれさえ守られていれば男女の別は関係なく性愛が実行されていた)。なので個人的に、45と17の性愛、おおいにけっこうではないかと思ったりもするのですが、占有を前提とする現代の恋愛では平等の概念を入れないと非常に危険なのです。それを冷静に遂行する本作品の店長は、つまり現代男性のイデアのようなキャラクターというか…ともかく世間の良識人の方々から叩かれるようなところは何一つないわけです。
タイトル、またあきらの出発点となる大切な思い出(「すぐに止みますよ」という近藤の言葉)が示すように、あきらと近藤は恋愛することによっておのれの人生をすこし前向きに生きていく勇気が出ます。近藤はあきらと図書館でデートすることによって一方的にわだかまりを持っていた旧友に連絡を取ることができました。ここの一歩は大きな前進なのですが、わたしの感受性が鈍いせいか?少々協調が足りないように思いました。主人公あきらの方は複雑で、ライバルの登場や周囲の助言、なによりも近藤の言葉で少しずつ陸上のほうへ気持ちが戻ってゆきます。人生の中休みのようなファミレスでの日々を抜けて、生活の歯車が動き始めるのです。ここらへんのまとまりもとてもよくできていました。
‘友達としてのハグ’を終えて子どもを交えた実質的別れ話の海のシークエンスがよかったです。またラストシーンですが、未来に希望を残すやり方もとても現実的ではないでしょうか。淡い思いを突き放して生き続けるのはあまりにも味気ない。おのれの日常を取り戻したふたりだからこそ、ゆるく交流し続けられる(‘友達として’)。そんなケジメのない姿勢の方が、人生の実情に明るく沿っている気がして好ましかったです。
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