終始苦しい感情。
脳死状態といっても、その姿は本当に眠っているだけのように見えるし、今にも目を覚ましてくれそうなのに、死んでいると受け入れることはできないと思った。それが愛する人であればあるほど。
「人は、心臓死をもって、死とする」という定めがある以上、脳死は第三者によって生きているか死んでいるか決められてしまうのかと思うと、苦しくなった。
いつか目を覚ましてくれるかもという期待をもってしまう母親の気持ちが痛いほどわかる反面、科学的技術で機械的に笑顔を作らせても、その姿を"生きている"とはすんなり認められない自分もいた。
意思があってこそ、生きているということなのかもしれない。難しい。