社会のエアポケットのような場所で生活し、毎日を生きている。
あのエアポケットは、社会がつくったものともいえる。
エアポケットという言い方も、「こちら側」と「あちら側」を隔てるような言い方であるとも思う。
誰も本当は見てみぬフリをしてはいけなくて、だけど、あの場所でなければ生きていけない人たちも確かに存在していて…
子供は親を選べない、とはいうけれど、本当にそうだろうか。
子供が生きて行くための養育者は、選べる世の中でもよくないだろうか。
彼らの犯罪行為は、誰かにとっての救済であった。
救済するなら正しく救済すべき、と一見思うだろうけれど、じゃあ、正しい側に居る人たちは、あのSOSをみつけられるのだろうか。
考えても、考えても、「じゃあどうすればよかったのか」なんて浮かばない