しゃりあ

生きてるだけで、愛。のしゃりあのレビュー・感想・評価

生きてるだけで、愛。(2018年製作の映画)
3.6
過眠になると日々が驚くべき速さで進行していく
単純な話、普通の人は24時間中17時間ほど活動しているところを、12時間以下で過ごすことが多いからだ

生活のほとんどを津奈木に仮託しているため、最低限衣食住はどうにかなっている寧子だが、それらが保証されたくらいで軽やかになってくれないのが人生だ

津奈木も津奈木で、父性を発揮して寧子を扶養しているだけではない
仕事での問題や寧子のことで磨り減る神経は、無感情に見過ごしやり過ごすことで、同じくただ回転する日々を送っている

この辺は意見も割れるところな気がするが、僕は「いいよ味噌なしで」という返信はキツいなぁと感じた
まず「味噌のない味噌汁ってなんだよ」ってブチギレてしまうと思う
ちゃんとやりたいのだ、寧子は
それを嘲笑うかのように立て続けに起こった不幸に悲しんでいる最中に、このセリフは厳しいものがあると思う
津奈木の不理解を象徴する、やり過ごすような「優しいだけの言葉」だと感じているように思えた
寧子が求めているのは「一緒に疲れてほしい」のであって、ここで求めていたのは甘さや優しい言葉ではなく、例えば「味噌買ってくよ」といったような、自分と二人三脚でゼイゼイ息を切らしてくれる行為ではないだろうか
ていうかアレが愛ならタバコ吸わねえだろ直後に

中盤に差し掛かるあたりで、おそらくほとんどの視聴者が、寧子の神経衰弱の理由を「ウォシュレットって恐いですよね」に見出すと思う
自分が気にしていることを他人が気にしていないということ
他人との違い、そしてその違いへの無理解
「外に出たら隕石に当たって死ぬかもしれない」と本気で恐れている人もいるのだ
「気にしすぎでしょ」と思うかもしれない
まさにその無理解の隔たりが他人との距離なのだ
そして「大丈夫になれそう」と思っていた寧子も、「いや、ウォシュレット恐くない」と言われることで、普通の人たちとは自分の生きている土台が異なっているということを否が応でも自覚させられる
しんどさ、絶望感
いつも惨めな気持ちで生きるのは疲れるよな

ぶっちゃけた話、セリフはかなり説明的で全部言葉にしすぎるきらいも間違いなくあったし、元カノはただのイカレでトリガーとしてしか描かれておらず、普通の他人は不理解しか示さない割に社会包摂に対してあまりにも熱心だし、画面もどっかで見たことあるような感が拭えず、一番の見せ場だった走り出すシーンもどうしても尺が短いような気がしてどうかと思ったが、なんというか『秒速5センチメートル』の仕事を辞めた主人公がエレベーター内で鍵を取り落としてキツくなるシーンのような、共感を誘う描写は良く出来ていたように思う

だから「しんどさ」を考える映画としてはうまく機能しているんだと思うし、それ故にわりかし高評価になっているんだと思う
役者の力もかなり大きい 主演の2人以外もかなり良い演技だった
劇伴も主題歌もマジでかなり良く、映画の好印象に一役買っている

それにしたってwikipediaには「躁鬱病を抱え、過眠に悩まされている女の自立への過程も描かれており」と書かれていたけれど、これはどうなんだろう
自立したのだろうか 結局できてなくないか?
あまりにも救いがなさすぎる
一瞬だけ心が通じ合うような、そんな煌めく瞬間がある それ以外は生きているだけでしんどいんだと思う 実際そうだ
でも俺はその瞬間だけに賭け、生きる価値の全てを受け渡すことはできない

…………
イカレでポッと出な元カノが現れなかったら、この話はどうなったのだろう

俺には見える
一人暮らしの汚部屋で、一日12時間以上寝て過ごす素寒貧のずっと終わっている俺には、二人がゆっくりと破綻して、部屋で腐乱死体となった津奈木と寧子の姿が見えるのだ

願わくばこれを観た人たちが、なにもかも分かり合えないことを解り、それでも触れることを諦めず、弱った他人を包摂し、彼らの荷物を分け合い、そしてその人を立ち上がらせてくれますように