Taliya

軽い男じゃないのよのTaliyaのネタバレレビュー・内容・結末

軽い男じゃないのよ(2018年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

少し前に観終えて、ずっと言葉を探していた。

ジェンダーロールをテーマにした、
意欲的な作品。

ジェンダーロールは「その性別が、社会的に期待されている役割」を意味する言葉だ。
この社会に生まれ落ちてからずっと、私たちは「男女もしくはそのどちらでもない性であること、そしてその性別に見合うように振る舞うこと」を期待されている。

今作から感じたのは、「ジェンダーロールは社会が形作り、個人はその中に巻き込まれていく。そして、『性別』は個人がその中で振る舞うことで固まっていく」というメッセージだ。

主人公・ダミアンが『逆転した』世界へ飛んでからと言うもの、マイノリティ側の一視聴者として胸がすく場面もあったが、少しずつしんどくなっていった。
私は字幕で観たが、ダミアンが次第に女性言葉を違和感なく使い始めるシーン。どれだけ訴えても「感情でものを言うな」と丸め込まれるシーン。にも関わらず、センシティブな場面では感情的なケアが求められるシーン。生まれ持っての整った肢体、美しく磨き抜かれた身体を「セクシー」だと定義づけられ、消費されるシーン。「ああ私や私の周りの人達は、いつもこう言う目に遭っている」「ダミアンは私達でもあるのだ」と思う反面、そうした社会のあり方や、いわゆるマッチョ的な価値観が自分の中にもあることに気付かされ、ウッとなる。

ダミアンはひょんなことから、女流(嫌な言葉だ)作家のアレクサンドラの助手として働くが、彼女は典型的なマッチョイズム的存在だ。傲慢で、思いやりや誠実さの欠片も持ち合わせていない。彼女を取り巻く編集者達もまた酷いのだが、そこは今回は置いておく。

そんな彼女とダミアンは惹かれ合っていくが、ラストは、アレクサンドラが『元の世界』に飛んでくる。あの展開は多分、多くの物語上で(ヴィランに対して)行われる「脚本的な断罪」だと思うのだが、同時にあのラストは『性別は社会が作る』という事の再提示なのだと思う。
社会が変わらない限り、元の性がどうであれ、不平等は続いていく。私達は葛藤する。そうしたことを示すものでもあるのだろう、と、私は解釈した。

今作で描かれる性差別の数々は、今でも実際にフランスにあるのだろうか?とはちらりと思ったが、まだ調べるに至っていない。
フランスの性差別関連の記事をざっと見たところ、2021年に「育児休暇の男女平等化を推進する目的で、父親育児休暇の延長に関する新制度が施行された(※)」とあった。深読みすれば、政府が動かなければ、父親の育児休暇は根付きにくいということだろう。日本よりもずっとずっと進んでいると感じる国にも、まだまだ課題はあるのだ。

こうした社会の中で自分はどう生きるのか、
どう振る舞っていくのか?
何を大切にしていこう?と、考えるきっかけになった。
性的・明け透けなシーンがとても多いので、そうした場面が苦手な方は要注意。

(※:「フランスのジェンダー平等への取り組み」リクルートワークス研究所 参照)
Taliya

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