梅子

軽い男じゃないのよの梅子のネタバレレビュー・内容・結末

軽い男じゃないのよ(2018年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

はじめに

 「I Am Not an Easy Man」のあらすじを簡単に説明すると、イケメンで仕事ができ、女の子を口説くことが趣味のダミアンは、ある日目が覚めると男性と女性の立場が逆転した、”女尊男卑”の世界になっていた。という話である。

 この世界で描かれている女性優位の描写は「男性は体のラインが出る、露出の高い服を着る」「男性が一人でいると、女性がからかいの声をかける」「女性上司のセクハラを断ると、解雇される」「家事や育児は男性がするもの」「街中にはセクシーな男性のポスターが多く掲示されている」などである。



映画を観て感じた違和感

 この映画はフランス映画であり、またコメディ寄りであることから、多少の誇張表現はあるものだとする。しかし、それを踏まえてみても、日ごろ女性はこんなにも男性に支配され、男性のために作られたような社会で、生き方やキャリアを制限されているのか、と思わせられる描写ばかりであった。

個人的にはっと気づかれた描写は、街中には男性のセクシーなポスターや、男性が女性の気を引くためのアイテムの広告(除毛クリームや、男らしく見える下着、女性に好まれる香水)が溢れているシーンであった。これを受け、普段はそれが当たり前の景色になっていたため違和感を覚えなかったが、世の中には女性が男性に気に入られるための外見を整えるアイテムや、男性が見て喜ぶ女性の写真がとても多いと感じた。男性主体で、女性は男性のために生きることを強いられているような、そう思われても仕方がないほどの、街中に溢れる男女の情報には差があった。

男性はしなくてもいいのに、女性だけが強いられていること。男女逆転の世界だからこそ、日ごろ私たちが気づいていなかった無自覚の差別要素というのが、この映画で明らかになったように思えた。



 感じた疑問

 女性が露出の高い服装をするのは男性のため。女性がメイクアップをするのは男性のため。そんな風に映画内では描かれていたが、果たして本当に、女性の行動はすべて男性のために行っているものなのだろうか。香水は花の香りがするものが不動の人気であり、女性らしさを強調させるメイク用品は、可愛らしい洋服は、常にアップデートされている。それは、私たち女性が、好んで自分のために行っているものではないのだろうか。

 おそらく、この仮説を見て、「私は私のために身綺麗にしている」「男性のためではない」と主張する人が大半であろう。しかし、私はアンコンシャスバイアスという言葉を唱えたい。



アンコンシャスバイアスについて

 はじめに、アンコンシャスバイアスとは誰もが潜在的に持っているへんけんであり、無意識のうちに刻まれている固定概念のことである。中坪ら(2019)は、女性の服装には、アンコンシャスバイアスが機能している面があると述べている。

 昔から存在する男性は女性を守られる、そのために女性は男性に守られるために選ばれなければいけないという考えは、今も存在していると考えられる。そのため私たち女性は、無意識のうちに男性に気に入られるためという目的と、自分自身がなりたい自分になるためだという目的が混同しているのが、現在の社会ではないかと考える。



最後に

 私はこれまで自身が男性の目を意識して生活してきてはいない、と思っていたため、女性差別の運動やフェミニストの言葉を、当事者だと受け取ることはあまりなかった。しかし、男女逆転の世界に猛烈に違和感を覚えたということは、私たちは普段当たり前だと思っている立場が違和感を覚えるほど制限された、差別されていたということの表れであるのだろう。

 主人公のダミアンは、劇中で「性別を忘れられないのか」というセリフを放つ。人間という大きなくくりで見れば、誰もが平等であり、手を取り合うべきだと簡単に言える。しかし、底に性別という観点が加わると、事態は複雑になってしまう。本当に、なぜなのだろうか。違和感を無視せず、考え続けることが、男女平等に近づく一つの手段であると信じたい。
梅子

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