僕はイエス様が嫌い。嫌いだけれど、祈ってしまう。すがってしまう。委ねてしまいたくなる。
先生が口にする形だけの「祈り」と、"僕"が"彼"を想う気持ちと言葉で出来た「祈り」は、いったいどう違うのだろうか。それらは確かに違うはずなのに。「祈る」という動詞でくくられてしまう。
意味がないとわかっているのに、神様なんているかどうかなんてわからないのに、いつも何回でも「助けてください」と空をあおいで「神様」なる存在に「祈って」しまう。当たり前のように、「祈る」ことが身体に染みついている。
助けてほしいよ、イエス様。でもきっとこの祈りは届かない。知っているけれど祈ってしまう。無意味だと知っているのに。すがる先が「あなた」しかいない。だからあなたが嫌いです。