Liberta

記憶にございません!のLibertaのレビュー・感想・評価

記憶にございません!(2019年製作の映画)
2.8
三谷幸喜監督の新作で、記憶を失った総理大臣が心を改め、自分と、自分の周りの人間関係と、そして政治を変えていく映画。
これを政権(及び日本政治)への批判ととるか、政治を題材にしたコメディととるかで評価は大きく分かれると思いますが、僕は好意的に捉えて後者と取ることにしました。三谷監督本人もこの映画は2006年の「THE有頂天ホテル」の頃から温めていた企画であってその時の政権を風刺するつもりは一切ない旨発言しています(https://movie.walkerplus.com/news/article/205347/)。
仮に前者である場合、この映画が意図した批判は以下の理由で一切当たりません。
①この映画の舞台が日本であるという描写はどこにもない。国旗も日本国旗ではない、見たこともないデザインのものです(以下の記述では便宜上「日本」と表記します)。
②政策に関する取材が不十分。例えばアメリカ大統領が日本を訪問した際に日米首脳会談が行われずゴルフや夕食会などだけが行われていること、呼ばれたはずのアメリカ大統領が常にホストの席に座っていること、日米首脳共同記者会見の会場に日本国旗のみ置かれていて米国国旗が置かれていないことなど、外交のプロトコルを少しでも真剣に取材したとは思えず、したがっていたずらに「外交は社交である」「日本外交はアメリカの言いなりである」との虚偽のイメージを流布するものであり、日本においてそれは犯罪ではありませんが、三谷監督が社会の一員として責任ある仕事をしたとは到底評価できません。また、改心した黒田総理がアメリカンチェリーの輸入拡大に関するアメリカ大統領の要求にNOを突きつけるシーンが「みんなのための総理になる」プロセスの一環として劇中では評価されていますが、自由貿易は全体の利益に資するものである一方、保護貿易は全体の利益を犠牲にして特定の産業に従事する生産者(ここでは国内のさくらんぼ農家)のみを利するものであり、むしろ「みんなのため」を損なうものです。もちろんコメディに政策論上の厳密性は不要ですが、上述の論理は経済学の一丁目一番地であり、これも政策的に日本の現状を批判したい映画を撮りたい場合には取材しておくべき要素であったと思います(映画を含む芸術はもちろん自由ですが、同時に仕事でもあり、責任ある仕事をしたと言うためには、事実に基づかないことを何でも言いたい放題言っていいわけではありません)。
以上の理由から、現実の日本政治を風刺/批判した映画と見るよりは、日本に限りなく類似した国の政治を題材としたコメディ(かつヒューマンドラマ)と捉えるのが適切だと考えます。

その上で、今の社会の閉塞感を主人公の周りの人間関係に還元して(それは実は妥当な投影だと思います)、勇気を持って少しずつがんじがらめをほどいていく映画だと思いました。まあ、社会にとって必要なメッセージだと思いますが、もう少し効果的な伝え方があったようにも思います。

以下個々の俳優/女優についてですが、小池栄子、佐藤浩市、木村佳乃あたりはお馴染みのメンツで素晴らしい。中井貴一はただの優しいおじさんかと思いきや「憲政史上最悪の総理」の役もとても迫力があります(ところで憲政以前の総理って誰のことなのでしょうか?第二代の黒田清隆の時に大日本帝国憲法が発布されたので、憲政以前と言えば初代の伊藤博文しかいませんが、伊藤博文は憲法発布後も再度総理を務めているので、要するに「日本史上最悪の総理」ということなのでしょうか)。個人的に一番面白かったのは吉田羊で、白いスーツを着て舌鋒鋭く総理を問い詰める野党第二党党首で、気も強く性欲も強い女性の役です。とてもハマっていますし、三谷幸喜は何となくそういう女性が好きなんだろうと思いますが、吉田羊にはそれ以外の側面もあると思うので、少しもったいない使い方だなあと思いました。あと草刈正雄の悪だぬき役は萌えますね〜。
ディーンフジオカはあまり人間味のない総理秘書官役で、こういう役ができる人もそうそういないと思うので日本映画界/演劇界にとって貴重な人材だとは思いますが、いまいち萌えませんでした。なんでかな〜。
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