歪み真珠

ジョーカーの歪み真珠のレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
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ホアキン・フェニックスの魅力をなんと表現するのが一番適切かを考えていたら十日ほど経ってしまった。
通勤途中、仕事中ふと彼を思い浮かべてぼんやりしていた。(どこかで書いたけど、映画や本を読んだあとは特に目的なく、その物語を自分のなかでゆっくり濾過する行為が極上の娯楽だと思うのだ。映画や本に限らず絵画でも、音楽でも、そして自分の記憶も。何ものにも替えがたい、秘密のお散歩みたいな。そこに答えが見つからなくともはてなは、はてなのまま心の中に置いておけばいい。なぜならわかる日はきっとくるから。今までの人生経験上。)
ヘレン・ケラーの「ウォーター!!」よろしく「セクシー!!!」って、彼の魅力とその言葉とがびっちり繋がった。
このセクシーさが性的魅力から発生するものじゃないから特別素敵なんだ。ブラッド・ピットのような筋骨隆々な体ではなく、トニー・レオンのようなとびきり甘い瞳でもなく、ハウス・ジャック・ビルトのマット・ディロンのような男前が犯す猟奇的な行為の魅力でもない…!
からだは不自然に痩せこけて、走る姿は滑稽で、言葉で人を楽しませる力もほとんどないのに彼はセクシーだった。身体から自然発生するセクシーさ。陳腐な言い方だけど、もはや彼の細胞からセクシーなのである!何ですかあれは?世間一般で言う魅力的な人の条件を何一つ持たないのにあんなにもセクシーだなんて。

「タクシードライバー」に影響をうけている気がする。“プシュー”するところも銃を手にいれてYou talkin' to me?を彷彿させる台詞を言うところも。でもこちらのジョーカーは人々の共感を呼ぶようなところがあって不気味だった。
悪のカリスマがダークナイトのジョーカーならば、こちらは「凡庸な悪」のジョーカーだった。日常と地続きの悪。凡庸な悪であれば、私はエドワード・ヤンの「恐怖分子」のほうがすきだ。悪の理解に同情が必要とされるのは不気味だ。

社会の分断よりも、ひたすらにお洒落でセクシーなホアキン・フェニックスを楽しむ映画だ。何もかもが白昼夢だったのかもしれない。
(あの仮面をつけた人がたくさんいる映像をみて、ニッキー・ロメロのToulouseのMVを思い出したのは私だけじゃないはず🎭️)