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ジョーカーのsakiのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.2
ホアキンジョーカーの狂気的な熱を煽り掬い取る様にゾクゾク。その怪演と、笑いの罪深さが強烈だった。

ユーモアには、対象を下に見て笑い飛ばすものが少なくない。
自身の滑稽さを誤魔化すような笑いもあり。
笑いには、人の世の不条理も詰まっている。
それらを絶対的に悪として根絶するのも無理がある。けれども、笑う己を俯瞰しそれを苦味とする心を何処かに、寄り添わせるように残しておかないと、人は舵取りを失うように思う。

ジョーカーは俯瞰し、飲み込み、一体化した。もう彼は悲しまない。

病気でなくとも人は、焦りや悲しみで凍りつくようでありながら顔には薄ら笑いを浮かべてしまう事もあり。
笑ってはいけないショーの場での発作に、笑うな笑うなと己に訴え届かず絶望しながら笑う姿は、胸が痛んだ。

そんなアーサーとて、TVを前にあの番組で誰かを笑っていた。
権威的に振る舞う司会のマレーとて、暖かな一面も持っていた可能性が高い。
人と人が重なる点は、層の一筋に過ぎず。
世界中の人が平等に富を得る日も、同じものを求める日も、来ることは無い。
…などという事を考えては、彼は救われなかったのだろう。
小人ゲイリーとの交流の中にも、アーサーという人間はいたのだけれど、彼はか弱く瀕死だった。
死にそうに生き続けるより、死の先にあるような生を選んだ。
悪だが強い、ひとつの強さ、しっかと踏み締められる己の立ち位置。
平凡な暖かさ、小さな交流、そこにささやかに行き交う笑いは、尊い。
それにすら届かなかった、と己を断じた男が、他に見つけられなかった、見つけてしまった道。引き攣り笑いが己が宿命と。

悪人も人間、貴方の中にもある種、的なヒールの背景物語がハリウッドにも年々増えている事は、現代倫理の必然として。
その上で「悪役のオモロさ」もまた損なわれないのでしょうね。

バッドマンシリーズは触りしか知らない私から見ても(というか、その程度の私だからこそかもしれない印象として)、ブルースとのコントラストが鮮やかだな、と感じました。
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