渡邉綿飴

母を亡くした時、 僕は遺骨を食べたいと思った。の渡邉綿飴のレビュー・感想・評価

4.2
【映画館の案内アナウンスで本作のタイトルを流れた時、僕は文学性の高い朗読劇を聴いているようだと思った。】

 母の2年に及ぶ胃ガンの闘病生活が終えて、葬儀も火葬の段階まできた。燃え尽きた母の遺骨を見た息子サトシはふと「遺骨を食べたい」と思う。なぜサトシはそう思ったのか、それには38年もおよぶ母との可笑しくてパワフルな毎日があった……。

 原作は漫画家として活躍する宮川サトシがウェブコミックに連載した実録コミックエッセイ。そのため、その描写のほとんどが事実に基づいた“リアルさ”で構成されている。だからなのか、観ているあいだ「つらっ…キツい…」と本音を漏らしそうになる場面が数多くあった。けれど、最後まで視線逸らさずに観れたのは先生が母の死に対して(たとえスローペースでも)向き合う姿勢を見せてきたからだと後になって思う。

 幸いにもまだ親の死別を経験していないが、いつかはその日が必ずやってくる。だから余裕のある間にいざというときの準備をしなければいけない(大変メンタルが削られる作業なのだが…)。本作を観ている間も(まだ後ろ向きだけど)その必要性が重々に感じた。

 劇中の中でサトシは、診療室で一緒にガン宣告を聞いたのにもかかわらず、隣に座る母に「たぶんこの人は死なない」と根拠のない自信を持つ。もちろん親の死をまだ受け入れられない部分もあるのだが、遺骨の件と同様、なぜサトシはそう思ったのか。それにはサトシが中学生のときまで遡る。

 サトシは中学生のとき、急性白血病になった(原作では大学生のときに発症している)。水泳の池江璃花子選手が発症した病気と同じ物である。池江選手のTwitterでも綴られている通り、その闘病生活は耐え難い日々だった。治療中の激痛と副作用、医療モルヒネの意識朦朧など正直生きているか死んでいるか分からなくなる中、自分を支えてくれたのは母親の山本"KID"徳郁を彷彿させる鋭い眼光だった。あの眼光のおかげで今の自分がいるし、その持ち主が死ぬわけがない。だから今度も助かるし今度は自分が助ける、という理由である。

 もう分かっているだろうが、神の子と呼ばれた山本選手も胃ガンで亡くなった(正確には全身転移による多臓器不全)。やはりこの世に無敵などいないわけで、懸命に頑張った治療生活もむなしく、あの眼光の母も家族に見守られて亡くなった。

 また通院生活中、自宅で投薬の副作用で髪も少なくなった母親が具体的な終活を始める。その母親の姿にサトシは苦虫噛み潰した顔で怒鳴ってしまう場面がある。それは母自身が死ぬことを受け入れているわけで、サトシにとって一番見たくない姿なのである。もし自分がサトシの立場だったら、同じことをしてたかもしれない。本編の中で一番キツかった場面だった。

 そういえば母が本格的に入院して、ある晩にイビキをかき始める場面がある。以前ウチの母から聞いた話で、ウチの祖母(母方)が腎臓ガンで末期のとき、病室のベッドで大きなイビキをかいていたらしい。それから数時間後に亡くなってしまった。担当医によると、脳が損傷し指令が滞ることで筋肉が弛緩し、舌を支える筋肉も緩んで呼吸が苦しくなりイビキのような音が鳴る。それは絶命直前に見られることから別名「死のイビキ」とも言われているらしい。それを間近に見た母の証言を覚えていたので、本作がいかにリアルに作られているなのかが分かる。
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