TATSUYA

Fukushima 50のTATSUYAのレビュー・感想・評価

Fukushima 50(2019年製作の映画)
4.2
本日、人生初の試写会にて「Fukushima 50」(梅田ブルク7 18:30〜)を鑑賞しました。
やはり、実話…いや、もちろん震災当時、私も中学生だったので、起きたことについては鮮明に覚えています。

本作品を通じて感じたことを包み隠さず、ネタバレは無しでここに残したいと思います。まずはじめに試写会応募までの流れと、その思い、それから感想という流れで書きます。とても長くなりますが一つ、お付き合い頂ければと思います。

本作品を観るにあたって、Filmarksでの試写会応募がありました。私は、東日本大震災当時の思いを綴り、応募しました。

以下、試写会志望動機の文をより詳しく書いたものです。

東日本大震災当時、私は中学一年生でした。学校の帰り道、同級生の一人が「帰りの会の時、なんか揺れへんかった?」と言いました。私を含めた他の4人は揺れを感じなかったので、「そう?」くらいの程度で会話は終わり家路につきました。
帰宅するなり母親がテレビをつけて、「アンタ、福島えらいことなってんで」と言いました。私も促されるまま、中継を目にし、皆さんが目にしたであろう震災による津波で家も、車も、建物も、なにもかも全てが流されている映像が流れていました。正直に言って、"ああ、大変やなぁ"くらいにしか当時の私は思えませんでした。近畿の奈良に生まれ、13年海を故郷に持たない私には自然の脅威、それも津波の怖さなど想像すら出来ませんでした。それから復興が大々的に叫ばれ、計画停電、各社CMの自粛など、間接的に震災の被害を感じました。

それから6年後、熊本で地震があり、大学生になった私は東日本大震災のこともあったので、何か自分にできることはないのか、この大学生ならではの夏の長期休暇を自堕落な生活で終わらせて良いはずがない、と思い大学が有志を募るボランティア活動に参加することにしました。ボランティアに参加するにあたって、現地の状況、余震の恐れ、また現地の方と接触する際の注意事項(思いやりを持った言動を心掛けること等)の講義を受け、熊本へ人生初となる復興ボランティアとして派遣されました。当時の熊本は、東日本大震災などの福島と違い、津波の被害も無ければ、原発による汚染の被害もありません。しかし、有名な阿蘇山は各所で地滑りを起こし、文字通り"丸裸"となっていました。その他にも各地で道路が地割れや、普通では考えられない段差を作り、道は迂回、迂回の連続でした。鉄道も線路が谷底へ落ちて復旧には目処が立たず、ありとあらゆる交通網が麻痺していました。

話の途中ですが、これを読んで下さってる方に質問です。あなたはボランティアと聞いて、どんなことを想像しますか?
瓦礫撤去?資材運搬?…一般的に想像しがちなのってそんな感じの作業ではないかと思います。私も派遣されるまで、そっちを想像していました。

しかし、私が体験したのは、現地の子どもたちや、地域の人々との、"ふれあい"がテーマのボランティアでした。地震で怖い思いをした子どもたちに少しでも笑顔をなってもらうお手伝いをさせてもらいました。実際、どれだけの人に笑顔になってもらえたか、少しでも良い思い出を作ってもらえたか、わかりません。瓦礫撤去など力仕事でない分、その効果が目に見えないので、貢献できているのかも不安になりました。でも、あの時間は無駄ではなかったと心から思っています。それは私という人間の中で、あの10日間の体験を通して、人との接し方の面で大きく変われたと思ったからです。この経験を無駄にしてはならない、どうにかして生かさなければならないと思い、自分の夢(警察官)と合わせて防犯ボランティアという形で、今では子どもたちに対した際の接し方の面で生かせていると思っています。

この熊本での経験を通して学んだことは、"知る"ことの大切さです。もちろん起こったことを知るのも大事です。他にもボランティア、ボランティアといっても様々な形があることも知りました。現地の方がどんなことに悩み、苦しんだのか、報道やメディアなどだけでは分からない部分を知ること、そしてその知った上で自分にいったい何ができるのかを考えることがとても大事になるということを学びました。
これは日常的にも大いに活かせることだと思います。相手が何で困っているのか、何をして欲しいのか、それを"知る"にはどうしたらいいのか、考える。このネット社会、"知る"ための術はいくらでも溢れています。スマホ、PC、新聞…etc。そこで知ったことと、自分が現地で知り得たことにどんなズレがあるのか。現地の意見は、本当に遠く離れた場所の人にも届いているのかを考えてみるのもいいかもしれません。

前置きが随分と長くなってしまいましたが、こういった思いをFilmarksの志望欄に書かせていただきました。
その甲斐もあってか、試写会に選ばれ鑑賞しました。

ネタバレ無しなので、内容は話せませんが、観ている最中、何度も込み上げてくるものがありました。しかし、何処か泣いてはいけないと思う自分がいて、何度も我慢しました。それは、この物語がただの同情を誘ってものではないと思ったからです。ただ観て、泣いて、「かわいそうだ」なんだと言うだけならここに選ばれ、上映日より先に観ている意味がないと思いました。
3.11から今も尚、復興に尽力されてる方々、吉田所長はじめ福島第一原子力発電所(イチエフ)の関係者、そのご家族…などは決して同情してほしいわけじゃないだろうし、若松監督、佐藤浩市さん、渡辺謙さんなど俳優陣の方々も、そんな思いでこの作品を作ったわけじゃないと思いました。

率直にこの作品から感じたことは、自然の恐ろしさ、我々人間の自然に対する傲慢さ、被害が自分の身に起こるまで"我が事"に感じれないことです。
だからこそ、自然に対しては常に共存の心を持ち、感謝しなければならないということだと思いました。時代は進み、テクノロジーは進化し続けます。しかし、その中でも決して忘れてはならないのが自然にたいする"共存と感謝の気持ち"だと思います。人間はどれだけ月日が流れようと自然を完全に支配する日など絶対に来ません。それは我々が地球に住む上で覆せない唯一の現実です。災害は忘れた頃にやってくる…とよく言いますよね。それは語り継ぐ側に責任があるのではなく、受け継ぐ側に問題があると思うような気がします。今の時代、先人たちの教えを「聞こうとしない」、自分の興味のないことは、「知ろうとしない」のが横行しています。罪とまでは言いませんが、先人たちの教えに耳を傾け、自然に感謝し、その上で進歩の道を考えるということが最も大切なのではないかと思いました。
また、3.11からの事実を綴った本作ですが、その中で描かれる家族や仲間との絆、事実だからこそ緊迫した中でも、互いを励まし合う姿もありました。本当に"イチエフ"で最後まで残って対応されたFukushima 50 の皆さんはもちろんそれまでに対応に当たった方々のおかげで日本は助かったのだなと思うと同時に、警告のように感じる部分もありました。

何度も書いて、くどいようですがネタバレ無しなので分かりにくい表現も多々あったと思います。ここまで読んで下さり心から感謝申し上げます。ありがとうございました。またFilmarks関係者の方にも試写会に選んで頂いた事に感謝します。

観た人それぞれに感じることがある作品だと思います。是非劇場で観てください!
僕も公開されたらもう一度行きたいと思います。

あ、あと観る前に専門用語?(例:福島第一原子力発電所=イチエフ)を少しわかっていた方がよりスムーズに内容が入ってくると思います。以上です。
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