Shiori

ホテル・ムンバイのShioriのレビュー・感想・評価

ホテル・ムンバイ(2018年製作の映画)
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予想はしていたけど、宿泊客を守る/逃がすためにホテルの従業員が多数亡くなったことを過度に美化するのはどうなのか……映画の内容自体は従業員、宿泊客、犯人、警察それぞれに焦点をあてていて、従業員の自己犠牲一辺倒というわけではなかったけど、based on true storyの映画につきもののエンドクレジット前の黒背景に白文字の事件の説明ではたしかに「犠牲者の半分は客を守るためにホテルに残った従業員だった」って書いてあって、どこまで本当のことかはわからないけれど従業員だけが知っている裏口を使えば脱出可能だったのに「35年働いているからここが家のようなもの」と言って逃げずにホテルに残って宿泊客の脱出を助けることが”感動的”なように描くのは……どうなんだろう。

なにがそんなに引っ掛かるかって、これ”インド”の”高級ホテル”の話だから。妻が臨月だからどうしても働きたい(お金を稼ぎたい)と言ってサイズの合わない靴を無理やり履いたり、高額なチップがもらえる仕事を静かに取り合ったり、従業員の多くはそういう”職はあるけどお金に困ってないとはいえない人”たちばかりで、そもそも従業員と客って本来は対等であるはずなのに暗黙裡に客>従業員となってしまいがちな関係性だと思うけど、そこにさらに個々人の財産の多寡を考慮すると関係性の不均衡の度合いはもっと強まる。

有事の際に自分の身を危険にさらしてでも客を安全に避難させる責任が従業員にあるかどうかという問いを考えるのはすごく難しい。東日本大震災のときに、亡くなった町職員の方が避難を呼びかけるアナウンスをぎりぎりまでしていたことが教科書に取り上げられて話題になったけれど、あれだって美談にしていいのかどうか。ましてそこに(前述したように)圧倒的な経済格差があるとき、「従業員は客の安全を優先するべき」というべき論や「危険を顧みず責務を全うしたスタッフは素晴らしい」という賞賛はかなりグロテスクに聞こえてしまう。本件における客/従業員の関係性は、先進国/開発途上国の関係性そのものだ。新自由主義の名のもとに貧富の差は正当化される。自分たちが持つべきはずだったものが不当に奪われていると持たざる人々は考える(これはある面では正しくある面では間違っている)、彼らはその不満を理不尽な暴力でもって解消しようとする、しかしそのとき犠牲になるのは持つ人々ではなく彼らとおなじ持たざる人々である。ここにはこの世界の縮図がある。


で、書きながら思ったんだけど、制作側もその非対称性はわかっていたのかもしれない。だからフォーカスされたいくつかの登場人物のうち、片方の彼らは殺され、もう片方の彼らは殺されずに済んだ。このことは、この事件の一因である構造の理不尽さや不条理さに対する溜飲を下げる役割を多少は果たすかもしれないが、それでもこの映画の核が「身を挺して宿泊客の命を守った従業員たちの献身を伝える」というところにある限り、映画に対する全体的な印象は変わらない。


一点良かったのは、殺害シーンが隠され過ぎずかといって残忍に描かれ過ぎていなかったところ。隠され過ぎはともかく、残忍に描き過ぎるとスリラー映画になりかねないので……(でもある映画サイトではスリラー映画に分類されていた)
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