オーソン・ウェルズが19歳で作った処女短編。まず、これは全く戯れ言として製作されたものではなく、恐ろしいほどのプロ意識でもって作られている(ように思える)。何と云っても驚くのは、オーソン・ウェルズ、ヴァージニア・ニコルソンともに物凄い老けメイクをして登場することだ。19歳の処女作において既に『市民ケーン』よりも強烈な老人姿、しかも「Death」を演じているとは。
死神を演じるウェルズは、出で立ちはアンクルサムのような正装で、2階から階段を降りてきて、山高帽を取って挨拶する所作を3回リフレインしたりする。本作でもニコルソンと二人で怒鳴り合うアップの暴力的なカッティングがあり、マシンガントークのモチーフが垣間見られる。こゝなんかはブニュエルというよりもドライヤーを想起する。しゃれこうべが燃えるイメージや、首括り、ラストの暗い部屋のグランドピアノのイメージなどはシュールレアリズムの感覚もあるが、魔術的、ゴシック的なムードが溢れており、ウェルズの原初の嗜好をうかがわせて興味深い。エンディング(「THE END」の出し方)も洒落ており、気持ちが悪いほどの老成ぶりを印象付ける。しかし、この老獪な精神と若々しいアクションの共存こそ、我々が愛してやまないウェルズなのだ。
#ウィリアム・ヴァンスはウェルズの演劇仲間。撮影を担当している。書籍「オーソン・ウェルズ―その半生を語る」(キネマ旬報社1995/08)では 本作のことをウェルズは次のように語っている。(78ページ)「ほんのお慰みだよ」「ジェスチャーゲームのようなものさ」「日曜の昼下がりに芝生の上でやる遊びの類だ」。