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新聞記者のbullのレビュー・感想・評価

新聞記者(2019年製作の映画)
5.0
無関心のその先に、大切なものを守れない未来が在る。

本作は、現代の日本社会に勇気ある問題提起をしている鋭い作品。https://shimbunkisha.jpより

まずはじめに、テレビも政権批判に躊躇するようになり、政権批判を行う番組は廃止される現代社会において、この作品を上映している映画館、出演した俳優陣、監督、原作者、そして関わった全ての人々の勇敢な行動に敬意を表したいと思う。

内閣情報調査室が情報操作をしたり圧力をかけたりして、国民やニュースをコントロールしている社会。東都新聞に、ある「羊」から、内閣が進める医療系大学設置の資料が送られてくるところから物語は始まる。

記者・吉岡と外務省から内閣情報調査室に出向してきた官僚・杉原は、本当は何があったのかを求める中で、一つの真実にたどり着いていく。

権力とメディアの関係、権力と向き合う個人としてどんな選択ができるのか、大切なものを守るためには何をすべきなのか、以上の3点からこの映画の魅力を語っていきたい。


●権力とメディアとの臨場感のある関係を描く

国民の生活を安定させたい政府と、真実を追い求めるメディアの水面下でのバトルが繰り広げられている。

モリカケの問題や、伊藤詩織さんと山口さんの裁判の問題などを風刺した事件が盛りだくさんだ。

そのホットな問題の中で、新聞記者はどのように動き、記事を書くのか。

正直、内閣や内閣情報調査室の人たちは、この映画が嘘であるなら、名誉を回復するように活動してほしいくらいだ。

国民に出回る情報になるまで、圧力をかけたり、それに屈したり屈しなかったり、ツイッターで裏垢のふりして書き込んで情報操作をしたり、新聞だけではなく様々な媒体を使って戦いが起こっている。

●権力と向き合う個人としてどんな選択ができるのか

権力は正しい判断をするが、それが国民にとって正しい判断なのか、それとも政党や政治家にとってなのか、どちらなのかはわからない。

もし権力が間違っているときに、私たちは個人としてそれに直面して一体何ができるだろうか。

新聞記者の吉岡は、政権からどんなに圧力をかけられてもどんなに落とされても消してくじけず屈せず戦い抜いて、政権の不正を暴く記事を書くに至った。

雷鳥の官僚である杉原は、慕っていた上司の死の不審な点から政権の不正を知り、自分の仕事への違和感、本当にこれが国民のためになっているのかということを自問自答し、政府の不正をリークすることを決める。

彼らはどんなに自分がひどい立場に立たされようとも、今ある地位から突き落とされようとも、彼らが正しいと思うことを選択し続けた。これはとても難しいことだ。勇敢なことだ。

自分なら、自分が積み上げてきたもの全てを捨てて、正しい行動ができるのだろうか。思わずヒトラーに抵抗した人々を思い出してしまった。私は自分の社会的な死、物理的な死、そういうものを突き付けられたら正しい判断ができるのかとても不安に思う。

しかし彼らは選択した。彼らは自分が正しいと思うことのために行動した。大切な人を守るために、大切な人が守られるような社会を作るために、自分の行動を変えたのだ。自分の大切な人を守るためなら、自分の大切な人に恥じない人生を送るためなら私たちは正しい判断を意外と容易にできるのかもしれない。

「君なら、自分の父親にどっちを選択してほしい?」

やっとの事で、政府の不正の決定的な証拠を掴み、記事にできるだけのファクトを揃えた時に、新聞社に政府からの圧力がかかる。記事を出しても誤報になるとわかった時、杉原は誤報と言われたら自分の本名を出すように言う。一般人を巻き込むことを躊躇う吉岡に対し、杉原は吉岡の目をまっすぐに見て、こう言ったのだ。

人は、大切な人を守るためなら、なんでもできてしまうものなのかもしれない。

この物語の隠れたもう一つのテーマは、父と娘だと思う。杉原の子どもが娘だったこと。杉原の選択と吉岡の人生が重なり、もう会えない父と娘が巡り会う、そんな話だ。

●大切なものを守るためには、どうすべきなのか

極端な言い方をすれば、吉岡には大切な人がいるような様子はなかった。自分の命に代えても守りたいそのような存在が描写されてはいなかった。

しかし杉原には妻がいて、生まれたばかりの子供がいた。彼女たちのために、彼は誇れる自分でいようと真実を伝える役割を請け負った。

声を上げるときに、大切なものはある人を後押しするような力になるかもしれないが、同時にある人間違った選択へと後押しする可能性もある。

娘の幸せのために全てをかけれる父親が多いと言う事は、娘のために真実を公表することもできるし、娘のために真実を言わないで罪悪感の中生きていくこともできると言うことである。

人間は自分の命なら、誰かを守るために容易にかけれるのかもしれない。

しかし、大切な人の命を、正しいことをするためにかけることができるのだろうか。

ONE PIECEには、こんな名台詞がある。反乱軍を止めるために急ぐアラバスタ王国の王女ビビに、主人公のルフィがふっかけた言葉だ。

「おれたちの命ぐらい一緒に賭けてみろ!!!仲間だろうが!!!!」
やはり、ONE PIECEは人生の教科書だと思う。ある一つの回答を、子どもたちに伝えている。信頼している人は信じ抜いてこそなんだぞ、と。

しかし、ある意味では漫画の綺麗事だ。私たちは、大切な人を失わないために、大切な人に誇れる自分であるために、今、何ができるだろうか。

大切な人を守る選択をしよう。

7/21

決めるのは、あなただ。
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