mai

行き止まりの世界に生まれてのmaiのレビュー・感想・評価

4.1
これの何が凄いって、いろんな立場でいろんな将来を描いている青年3人が友人同士で、それを10代の頃から撮り続けていた奇跡のようなドキュメンタリーの構成になってることです。しかも、ある人の親と同じ構図を友人が作り出そうとしてる…あまりにも皮肉な現実すぎて、ただただ圧倒される以外にありませんでした。

「信じたいと思ったものを優先して信じてしまう」それが真理だと思いました。
主観で見ようと客観で見ようと、自分の親やパートナーは、親としてパートナーとして最低なのは百も承知なんです。しかし、その親を切ってくれないのはまた自分を愛してくれるもう片方の親で。パートナーを切れないのは、その人を誰かの親となる人としてではなく、愛する人つまりは人として好きであるし、複雑な話だけれど「家族」として愛したいと思ってるからです。根底には、きっと「家族」という形に諦めを言い渡すようで、その諦めを認めたくはないし、そういうこともあるのだと信じたくはないと思っているからなのだと思います。貧しい家庭、親が不仲の家庭、親と折り合いが悪かった家庭…自分が決して恵まれた家庭ではなく、むしろ社会問題として取り上げられてるような家庭で育ってきたのだという自負があるからこそ、自分はそうはならないんだ、幸せな家庭を築けるのだと信じたいのです。
しかし、過去は変えられないし、消えることもありません。過去にされたことを糧にできる人もいれば、過去にされたことが自分の言動の奥底に流れて消えない人もいます。
その様子が、三者三様に描かれたドキュメンタリーだからこそこの映画は素晴らしい…現状が現状なので、素晴らしいと褒め称えて良いものかどうかは悩みますが…ドキュメンタリー映画として素晴らしいです。

黒人・白人・中国系…人種は様々で、抱える想いも様々です。でも、共通するのは「スケボーに救われた」という想い。
家に居場所はなくて、学校にもなくて。
1人は嫌だけど、心休まる瞬間が本来あるはずの家や学校にない子たちの唯一と言っていい救いの場がスケボーでした。
夢中になれることが有れば救われる、同じ繋がりを持っていて、自分と深い関わり合いの中にはいない他者に囲まれる輪というのは、逃げ場がないと思っていた子供にとっては緊急避難場だったのだと思います。
でも、若い頃はそれで逃げられるけれど、大人になればなるほど、他人の人生に嫌でも責任を持たなくてはいけなくなるし、自分の身を立てるには自分しかいないのだと気付きます。
その結果、大人になりきれなかった子供が、さらに大人になりきれない子供を育てるという循環が生まれます。そうやって、邦題のように「行き止まり」とも思える世界が出来上がるのです。
デンバーへと移り住むのは、行き止まりに向き合って、そこから抜け出すため。ロックフォードに戻ってくるのは、行き止まりだと分かっていても、過去から逃れられなくなっているため。
最後、各々にちゃんと前を向いてる様子が描かれていたけれど、実際の将来はどうなのだろうと思うと…なかなかくるものがあります。

この映画、きっと3人にとって戻りたいと思う瞬間が映しとられてるんです。あの無邪気でいられた時に戻りたい、自分が最低になる前に戻りたい。
それも映画の切実さをさらに強調してるように思いました。

子供は親とは違うけれど、親を見て育つというのは正しいんです。
暴力が当たり前だったら、いけないことだと分かりつつ、それで解決できるのだということも知ってしまう。片親の寂しさを知っていても、家に寄り付かない親もいるのだと、遊ぶ親もいるのだと知ってしまう。
その綺麗に巡っていく様を現在進行形で、その親しい友人が撮るからこそ、普遍的なはずなのに凄く貴重なインタビューを含んだ映画になっています。
最後の方で、監督の話とザックの現状がリンクする部分は涙が出ました…。
赤裸々に語られ、ありのままを映しとった映画としていろんな人に見て欲しい作品です。
mai

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