いさみ

天気の子のいさみのレビュー・感想・評価

天気の子(2019年製作の映画)
5.0
極ふつーの感想です。
超ネタバレ注意。

・帆高と陽菜の選択について
結論から言うと肯定派。
"天気の巫女の使命は狂った天気の治療であり、人柱になることで世界の天気は元に戻る"
そう神主のおじいさんは言っていた。
あの世界の天候が"狂っている"とするなら、あの天気を狂わせたのはこれまで地球で生きてきた大人たちでしょう。
大袈裟に言えば、その人類の歴史の責任や代償を帆高と陽菜にどうして擦り付けられるだろうか。
母ともう一度晴れた青空の下を歩きたい。。。陽菜の切実で真っ直ぐな祈りに神は答えたのか、それともそれを逆手に取って利用したのかはわからない。
(まぁあの"光"が故郷にいた帆高と、東京の陽菜を引き合わせたのだが)
ただ狂った天気の責任をあの2人だけに取らせるべきではない、狂わせたこの世界全体で取るべきだと思う。
つまり、あのラストシーンは自分にとっては最も正しい形と考える。


・最後陽菜は何を祈り、帆高は何故「僕たちはきっと大丈夫だ。」と言ったか。
まず、陽菜は力が無くなっても、恐らく晴れますようにとずっと3年間祈っていたと自分は思う。
彼女はきっと自分が晴れを祈って社をくぐり、天気の巫女となり、帆高を巻き込み、世界を巻き込み、世界の形を変えてしまった責任に一人押し潰されそうになりながら、毎日を過ごしていたんじゃないだろうか。
月日が経ちあの時自分選んでくれた帆高は、今冷静になってこの東京を見ても私を選んで正解だったと言ってくれるだろうか。
ずっと不安だったんじゃないかと、彼女の立場や気持に立ってみて考えてそう思う。

そんな祈る彼女を見た帆高は※"大人たちの言葉"を否定する。
(※須賀と冨美は世界なんて元々狂っている、元に戻っただけなのかもしれないと帆高に言う。
これはきっと大人たちから帆高への優しさでもあり、最初に狂わせたのは自分たちという考えからの発言だともとれるように感じる。)
もしこの大人たちの温かい言葉に甘え、受け入れてしまえば自分たちの選択を否定することになるから。
つまりそれは世界ではなく陽菜を選択したことを否定する、後悔しているに等しい。
自分たちのせいじゃない、元々狂っていただけ、元に戻っただけ・・・それはある種の現実からの逃避だ。
この目の前の現実を、帆高は陽菜を救うのと引き換えに選んだのだ。
だから決して逃げてはいけないし、なかったことにしてはいけない。
もしそう彼女に伝えていたら、陽菜をとても深く傷つけることになっていたと思う。
でも帆高はそうしなかった。
巫女の力を失って、祈る事に恐怖を覚えても仕方のない体験をしてもなお、人々のために晴れる事を祈り続ける彼女を見て。

だから帆高は陽菜に"僕たちはきっと大丈夫だ。"と言った。
この現実を受け止め、それでもなお"僕たちはきっと大丈夫だ"と。
僕たちにはお互いがいるからきっと大丈夫だ。
僕たち人間は強いから、この世界でもきっと大丈夫だ。
僕たちには背中を押してくれる、支えてくれる大人や友人、家族がいるからきっと大丈夫だ。
他にもきっと色んな意味が込められている一言だと思う。

空から落ちる時、帆高は陽菜に「陽菜、自分のために願って。」と言う。
この帆高の祈りではなく願いがいつか叶うと良いなと思う。
いさみ

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