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天気の子のReiのレビュー・感想・評価

天気の子(2019年製作の映画)
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「天気の子」である陽菜は、本来、人間が操ることのできない天気を自分の力でコントロールできる特別な力を持った女の子です。
この作品の舞台である雨が降り止まなくなった近未来の東京で、陽菜は人々が待ち望んでいる「晴れ」をもたらす存在としての自身の役割に葛藤します。彼女は自らの力によって多くの人々の笑顔を生み出すことのできる代償として、自分の身を犠牲にしなければならなかったからです。作品中ではこのことを「人柱になる」と表現しています。

主人公、帆高はそんな彼女に恋心を抱き、彼女への思いを実らせるために試行錯誤します。彼のどこまでも純粋な恋心がこの作品の鍵となります。
世界に晴れをもたらすために「人柱」となって消えていった陽菜に再び会うという目的のために彼は持てる力の全てを尽くします。そしてやっとの思いで再会した片思いの相手に対して彼は言います。
「もう天気なんで気にしないで、自分のために祈りなよ!」

多くの人が持っている願望というのは、「世界の人々を助ける」といったような大義のあるものではありません。ただ目の前の人と一緒にいたい。ただ目の前の人を笑顔にしたい。そんな極めてわがままで自分勝手な願いばかりかもしれません。
でもそれで良い。そんな一途な思いが意外と世界を救っているのかもしれません。

これだけ科学技術が発達した世の中でも、人間は天気を「予報する」ことが出来ても、「操る」ことは出来ない。
私たちは日々移り変わる天気に応じて服装や持ち物、そして気分までもを左右されてしまいます。どうしても晴れて欲しい日に、大雨が降ったり、雨ばかりの毎日に突然美しい虹がかかったりします。
それは「人の心」も同じです。どれだけ世の中が変わっても、人の心は誰にも操ることは出来ないのです。
どれだけ相手に気持ちをぶつけても、反応がなかったり、逆に期待以上のものがかえってきたり、それによって泣いたり、笑ったり、憎んだり、人の心という「操れないもの」によって人間は様々な感情を経験します。

「これから晴れるよ」
陽菜の一言で帆高の世界は一変しました。誰かのために何かしてあげたいという思いが、大きな何かを知らない間に少しづつ変えていくのかもしれない。そんなメッセージを感じました。

前作「君の名は」の特徴は大きく引き継がれていますが、今回の作品は音楽をあくまでも映像表現の補助的な効果として用いていたため、プロモーションビデオ化を防げていると思います。しかし音楽を期待していた観客層からすると、少し物足りない演出になってしまった、という見方もできます。また、物語の根幹を支える大きな設定や、登場人物の過去(特に須賀、帆高)などに対しての言及が少なく、それによって作品の「余白」を考えるヒントがあまりにもこちらに与えられないため、腑に落ちない箇所も多いです。
この作品が「君の名は」ほどの社会現象にならないであろうとなんとなく予想されるのは、他にも多くの要因があると思いますが、それでも、人々の心に響くような確かなメッセージを持った作品であることには間違いないです。
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