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天気の子のDaikiのレビュー・感想・評価

天気の子(2019年製作の映画)
3.5
⚠︎微ネタバレ注意⚠︎
映像的エピックは「言の葉の庭」で出尽くした感あり。しかし、「君の名は」以降で光り始めたプロットの(表層/深層)戦略には今作も舌を巻いた。


[ 表層 ]
てるてる坊主の原型となる中国の『掃晴娘』伝説の現代版。人身供儀を、「少女に降りかかる重すぎる責任と力の代償」というセカイ系プロットで再解釈している。
もはやファン向けお楽しみコンテンツになっている「前作の主人公を探せゲーム」や、「ロケ地当てゲーム」を話題性のフックにしている辺りも抜け目がない。


[ 深層 ]
「このへんは元々海だったんだよ」
「みんな何にも知らないで好き勝手言いやがって」
「空の上の彼岸から迎え火を辿って魂が降りてくる」

これらのセリフが表層のプロットでは全く必要がなく、違和感があるので、これが深層のテーマである。
ここでは『アントロポセン(人新世)におけるエコシステムの崩れ』が描かれている。
(作中でもこれ見よがしに登場したアントロポセンであるが、人間の活動が地質レベルで地球に影響を与えていることを示している。)
空の世界で魚の姿をしているものはかつて地上で人間や動植物をかたちづくっていたもの、いわば魂である。迎え火によってそれらの魂は地上へと降り注ぎ生命を再生産する。つまり、輪廻あるいはエコシステムの視覚化なのである。

"火"に着目してみよう。
多くの文化で雨乞いには火を用いているように、煙の上昇と雨の下降は対になる概念だ。作中で大きな水の塊が空中に浮いている状況になるときには船の排気や拳銃の硝煙がきっかけとなっていることがわかる。だからこそ初めの発砲により陽菜の気持ちが動き、二度目の発砲により龍神が呼び起こされたのだろう。(同じく雨男である圭介も煙草がもつ死のイメージを伴う)

このことから、異常気象は大量燃焼により飽和した空の世界からの魂の帰還(あるいはかつての動植物である化石燃料を燃やしすぎたり、核戦争を行う人類へのしっぺ返し)というメッセージが浮かび上がる。陽菜が召された積乱雲が、広島に黒い雨を降らせたキノコ雲に似ているのもアイロニーに思えてくる。

平成のアニメーションがおどろおどろしい姿の生命体にカタストロフィを実演させていたのに対して、現象だけでそれを描こうとしているこの作品は人新世が知られるようになった令和だからこそできる表象じゃないかな。

ラストシーンの祈りは帆高の「自分のために祈れ」に対する陽菜の回答で、帆高に会いたいとシンプルに祈ったのだと思う。ネックチョーカーが壊れたのはてるてる坊主としての役目から解放されたということ。もう透ける心配は無い。
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