1933年という結核感染者が再び増加し始めた頃のアニメーション。昭和の結核対策について知る上で大変貴重な史料。特にエチケットに関する部分については、いつから咳エチケットが言われるようになったかは分からないが、この時代には既に結核という感染症を通してエチケットが重要視されていたことが分かった。
この時代に感染症対策のためにアニメーションが作られていたことに驚きだが、このアニメーションを一体どれだけの人が、どのような層の人が見たのかは疑問。
この後、日中戦争が始まると総力戦のための人員確保という面から結核対策が重要視されるようになる。