chiakihayashi

ソーシャルメディアの“掃除屋”たちのchiakihayashiのレビュー・感想・評価

4.2
@ドイツ映画祭2019

 日々、インターネット上の膨大な画像をチェックして〝不適切〟と思われる画像を削除する業務(コンテンツ・モデレーターと呼ばれる)を取材した良質なドキュメンタリー。

 コンテンツ・モデレーターたちは6歳の女の子がペニスを咥えさせられるといったシーンや酷い死体のシーンを来る日も来る日も削除し続けている。ISが首を切る光景を何度見たかわからないというモデレーターもいる(そうした画像が削除されてしまう前に記録として残そうとしているNGOもある)。

 そもそも映画はその創生期から〈性〉と〈暴力〉に結びついていた。普通、人がすることはできるが見ることはできないのがセックス、逆に見ることはできてもすること、つまり当事者になることは勘弁して欲しいのが暴力行為。というわけで、映画とはある意味で〈性〉を見せ、〈暴力〉を見せるメディアなのである。

 シリコンバレーで巨大な利益を上げているGoogleやFacebookやYouTubeが言わば検閲作業を下請けに出しているようなもので、当然、表現の自由と衝突するケースが出てくる。例えばアーティストがペニスの小さなトランプ大統領を描いた絵がアッという間に閲覧数を伸ばしたかと思うとピタッと消されてしまったり。

 政治的な発言となれば、どこで線を引くかは一層危うい。トルコのように露骨に圧力をかけてくる政府もあれば、ある動画を削除するかそのまま放置するかが個々のモデレーターの政治的な傾向や心情に左右される面があることも否めない。

 そしてそんな下請け業者の一大拠点がフィリピン。このドキュメンタリーはフィリピンで、すでに退職したか、匿名で応じたモデレーターたちの取材がもとになっている。スラムに暮らしていたり、ゴミの山を漁る暮らしから抜け出したいと頑張って就職したりした人々が、やがて心身に不調をきたして辞めていく。SNSのプラットフォームは実はそんなグローバルな使い捨て労働力体制に支えられているわけだ。 

 と、ここまで書いたところで、3月15日、ニュージーランドのモスク襲撃事件が起きた。銃撃犯は犯行を撮影し、Facebookでライブ配信していた。報道によればFacebookが発表した数字は以下の通り。犯行動画のライブ配信中の視聴回数は200回未満。動画が削除されるまでに視聴された回数は合計で約4000回。最初の24時間のうちに、世界中で問題の動画を約150万本削除し、うち約120万本はアップロードの最中にブロックしたので視聴者の目には触れなかったという。一方、トルコのエルドアン大統領は選挙集会で動画を流し、イスラム嫌悪を非難し、「国内の政敵を弱腰と非難する」のが目的だったと報じられている。

 GoogleやFacebook側は、プラットフォームは場を提供しているにすぎないと主張してきたが、ニュージーランドのアーダーン首相は「こうしたソーシャルメディアのプラットフォームはただ存在するだけで、そこに掲載される内容に、プラットフォームは何の責任も負わないなど、私たちは甘んじて受け入れるわけにはいかない。各社は出版社だ。単なる郵便配達人ではない。利益だけ得て責任は負わないなど、あり得ない」と語っている。この映画でも指摘されているが、ソーシャルメディアは広告収入を増やすために視聴者を1人でも多く獲得するという明白な目的を持って急速な成長を遂げた巨大企業なのだ。

 さらに、画像の加工ソフトを使えば投稿する動画の捏造はいかようにも可能で、それがアッという間に拡散される時代でもある。例えば今年2月、インドがパキスタンのテロリストの拠点を空爆したと大手テレビなどが報道した戦闘機の映像は、実は2017年にネット上に投稿されたものだったことをインドのファクトチェックサイトが突き止めたという(朝日新聞3月15日付けNYタイムズ「コラムニストの眼」抄訳)。インドもパキスタンも核保有国。そこに一触即発の火種をいくらでも簡単に捏造できるなんて!!!

 もうどうしようもなく暗澹とした気持ちになってしまった。が、ようやく思い直した。ソーシャル・ネットワーキング・サービスに依らないネットワーキング、ヴァーチャル・リアリティならぬリアリティそのもの−−−−インターネット外の世界をいかに豊かに紡ぎ、生き生きと織りなしていくかしかないのだ、と。
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