haya

フェアウェルのhayaのレビュー・感想・評価

フェアウェル(2019年製作の映画)
4.3
◦考察
カメラワークと演出によるシーンへの二次的な意味づけが所々見られた。興味深かったショットを挙げてく。
1、ビリーの自宅到着時にいた"小鳥"
 このシーンの直後、学芸員不採用通知のシーンへ移る。つまり、直前の小鳥は、ビリー自身が夢半ばであり、社会において職業を通したアイデンティティ形成が済んでいない"未熟な存在"であることを暗示している。
 物語序盤はナイナイが肺ガンであることの提示と並行して、ビリーの説明が主だった。母親との会話でいとこの結婚に対して「デキ婚?」と聞き、母親から呆れられる場面でもビリーの娘としての側面が強調されてた。

2、地下鉄で走り抜ける電車によって、ホーム向かい側のお婆さんの姿が不鮮明になるシーン。(個人的に結構好きだった)
この直前に母親からナイナイの死期が近いことを告げられている。
 ナイナイの死を鑑賞者に連想させている。しかし、より明確に言語化するなら、「ナイナイの死後、ビリーの記憶からナイナイが徐々に消えていってしまう"未来"を表現している」の方が正確かも。同じ"死"を連想させる表現1つとっても、撮影次第で含む意味合いを強めることができるから、その点をもって言語的だった。

3、円卓を囲んで飯を食いながら、言い争いをする女性陣。その後の廊下で各々部屋に入って行くシーン。
 家族それぞれが別々の部屋に入っていくことで、口喧嘩を経て心が離れてしまったことを暗示している。割と物語上スムーズな流れでのメタファーだったのでスマートな印象。

⚠︎改竄した診断書をナイナイに渡したあと、家族全員が"カメラ目線"でカメラに向かって迫ってくるシーン。
 これは、鑑賞者自身がビリーの"嘘の証人"であることを脅迫しているシーン。鑑賞者を見つめる演者全員が険しい顔をしていたのはそのためである。鑑賞者の性質上、嘘をつく側とつかれる側の両方の視点を鑑賞者は見ることができ、脚本はビリーの視点で描かれているので、嘘をついてしまった罪悪感を鑑賞者はビリーと共有することとなる。この表現方法どっかで見たことあるな、、思い出せん

5、アメリカに帰ったビリーが街中で太極拳の掛け声を発して、ナイナイのマンション前の木から鳥達が驚いて飛び立つシーン。
 綺麗な締めくくりという印象。
・前半に出てきたような小鳥ではなく、すべて成体であったこと。
・鳥達が、休憩する場所としての木から飛び立ったこと。
 以上の点からビリーがナイナイの件を乗り越え再び歩き出したことを明示していたことがわかる。

AwkWafinaの声良すぎなんよ、、
haya

haya