このレビューはネタバレを含みます
映画の中で架空のキャラクターを演じる女優、役として泣き、それを見た我々も涙を流す。
これはどういうことなのだろうか。
馬鹿馬鹿しいと言う人もいるだろうが、紛れもなく感動し涙を流す人もいる。
感情移入、共感とは人間に備わった摩訶不思議な機能である。
それが何の役に立つかわからない。
ただ、思い切り泣けば爽快感は得られる笑
少なくともそういう自己満足はある。
泣ける映画とは、いわばそのアクション映画にも勝る爽快感を得るためにあるのかもしれない。
殆ど記号的に登場する食事、抱擁、感謝の言葉。これらが生き残った人間そして生かされている全ての人間がやらなければならないこと、として印象付けられていく。
無理矢理にも思えるほど強引に挿入されるこれらの行為はそれ自体が答えになっていて、意識的に、儀礼的にでもすべきことだと伝えている。
旅を続ける中で最終的に自然にそれが出来るようになっているハルの姿がロードムービーの醍醐味ではないか。
口数の少なかった少女がラストシーンで一番饒舌になるところは愉快ですらある。
消え入りそうな魂はここに繋ぎ止められた。
震災後に生まれた子供が生活再建に忙しい親に相手にされず、極度のかまってちゃんになっているという。
そこを踏まえると高三にしては幼さを残す彼女の精神もリアルなものに思える。たった一人の肉親に依存していた現状が突然変化を余儀なくされた時、一人で何処かへ歩き出すのかもしれない。
モトーラ世理奈のこの世の者ではない出立ちが此岸と彼岸の合間を彷徨う旅人の心を見事に体現している。
こういうドキュメンタリーのような劇映画はなかなか見れないし見てみても良いと思う。
撮り方からして違っている。普通ならそこクローズアップに飛ぶだろというところも引き画で押し切ったり、決めの画ですらカメラを固定しない。それだけに生モノな感じがする。その瞬間でしか捉えられないものを捉えている感じ。
フィルムメイカーとしての不謹慎な欲望は絶対にあったと思う。東日本大震災の津波で流された住居跡もそうだが、豪雨災害後の広島をそのままフィルムに抑えている。作り物ではない本物の被災地の姿がキャラクターの背景に圧倒的な迫力を生んでいる。美術に金をかけずに最高の背景を手に入れたわけで、制作的にはお得でもある。